幼い頃、ウルトラマンが好きだった。地元札幌では何度も再放送されていたので、セリフまで覚えてしまった。何度、スペシウム光線を真似したことか。バルタン星人や、ジャミラのマネもよくしたものだった。
衝撃を受けた設定は「ウルトラマンは地球上では3分間しか戦うことができない」というものだった。実際、時間を測ると3分以上戦っていることもよくあったのだが。ウルトラマンですら、残業しなければならないのかと子供心に同情してしまった。しかし、この3分という制約が番組を面白くしていたのもまた事実だ。ボクシングでも1ラウンドKOは難しいのに、どんな強敵でもウルトラマンにとってはそれがマストなのだ。
もっとも、3分というのは極端だが、私たちは何らかのかたちで「時間の制約」を意識しながら働いている。各案件の締め切りもそうだ。社会人になりたての頃は「もっと時間をかけて企画書を書きたい」と何度思ったことか。徹夜で書いているのにも関わらず、である。
最近ではなんと言っても「働き方改革」だ。長時間労働が法律で規制されるようになったこともあり、各社とも労働時間削減が喫緊の課題となっている(はずである)。中には、退社時間になったら上司がフロアの電気を消す、PCの電源が自動的に切れるという企業すらある。「働き方改革」は「早く帰れ運動」なのかと突っ込みたくもなるが。結局、仕事の絶対量は変わらず、ますます労働者は疲弊してしまう。「仕事にはまだ無駄がある」などという間違ってはいない正論が振りかざされ、私達はますます忙しくなる。相談・雑談・漫談という職場を活性化させ、人を育て、新しいアイデアを生み出す「3つの談」が失われていく。
ただ、この時間の制約はライフステージの変化によってやってくることもある。結婚・出産・育児・介護などだ。自分磨きのための大学院進学やスクール通い、副業に没頭することなどもあれば、あまり考えたくはないが、離婚による育児のワンオペ化、家族や自身の病気ということもありえる。
他人事だと思ってはいけない。夏休み期間だ。周りにいる家族や恋人のことを考えてみよう。自分と周りの人に、年齢を5、10と足してみる。これが5年後、10年後のリアルな人間関係だ。自分や周りの様々なライフイベントが想像できる。