大統領に居座るロシアの“悪しき法律家” 打ち砕かれた「法治国家の看板」
【ロシア深層】
ロシアのプーチン大統領(67)は法学部出身であることを誇りに思っているらしく、「私は法律家だ」とわざわざ前置きして発言することも少なくない。大統領任期を「連続2期まで」と定めた憲法を順守するとも重ねて表明してきた。そのプーチン氏が終身大統領に道を開く改憲を強行し、かろうじて残っていた法治国家の看板は打ち砕かれた。
「憲法クーデター」「政治的な詐欺」。ロシアでこうした批判が上がっているのも当然である。プーチン氏が14日に署名した改憲法案には、同氏の大統領任期を帳消しにし、5選出馬を可能にする内容が入った。この直前の10日、下院で意表を突いて練り込まれた条項である。
プーチン氏が1月に乗り出した改憲では、地方知事による諮問機関「国家評議会」の格上げなど権力機構の変更が注目された。同氏が大統領任期の切れる2024年以降に「院政」を敷くための布石だと考えられた。これらは目くらましの煙幕で、大統領居座りが本当の狙いだったようだ。
改憲法案は翼賛体制の上下両院で11日に可決され、地方議会の承認もわずか1日で終わった。
「(終身大統領は)国にとって有害であり、私には必要ない。憲法を守ることが重要だ」。プーチン氏は14年11月にこう語っており、同様の発言を幾度も繰り返してきた。
今月10日の演説では変節していた。「国力が強まり、政治、経済、社会が成熟した暁には政権交代が必要だ」。プーチン氏はこう述べつつ、「国に多くの問題があるときには安定の方が重要だ」と任期帳消しを正当化した。「問題」の例として、ロシアはソ連崩壊の後遺症を完全には克服していないと述べた。
時代錯誤も甚だしい。ソ連崩壊に伴う混乱や困窮は確かに深刻だったが、すでに崩壊から28年以上が過ぎ、プーチン氏の治世は約20年に及んでいる。ソ連崩壊を持ち出すのは、自らが招いた停滞の責任を転嫁する詭弁(きべん)にほかならない。
憲法裁判所は16日、今回の改憲を「合憲」と判断した。プーチン体制下で司法の独立は骨抜きにされており、予想されたことだ。しかし、これは本来、憲法裁が1998年に出した判断と完全に矛盾する。憲法裁は当時のエリツィン大統領について、改憲を機に任期を数え直してはならず、2000年の大統領選には出馬できないと明確に判断した。「法律家」のプーチン氏が知らないはずがない。
プーチン氏の改憲法案署名からちょうど30年前の1990年3月14日、ソ連では共産党の一党独裁を放棄する改憲が決まり、民主化への大きな転機となった。30年を経て独裁回帰の改憲が行われたのは歴史の皮肉というほかない。
共産党による集団指導という原則やシステムの縛りがない分、ロシアの個人独裁はソ連や中国よりも非民主的である。プーチン氏は時計の針を帝政時代まで巻き戻したともいえる。
今回の改憲によって憲法や政権の正統性には疑問符が付く一方、正常な政権交代の展望はますます遠のく。反プーチン派は「体制外」で先鋭化していくだろう。これが行き着くところは、17年のロシア革命や91年のソ連崩壊に類する激震にほかならない。(遠藤良介)