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イタリアのイメージが裏切られた? 伝統的バール文化に“異変”

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イタリアのイメージが裏切られた? 伝統的バール文化に“異変”

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ミケーラ・チマトリブス氏  「毎朝バールにやってきて新聞を手にしながらカプチーノを飲み、昼間はエスプレッソでサッカーや政治について常連と侃々諤々の言い合い。もはやこういうのは『年寄りの習慣』と化しており、ミラノでは伝統的バール文化は20年の余命しかないかもしれない」

 飲食分野のマーケティングやプロモーションの会社を共同経営するミケーラ・チマトリブス氏の言葉だ。バールはコーヒー、パニーノ、カクテルがメーンメニューの「喫茶店」だが、これまで広場(ピアッツァ)と並んでイタリアのコミュニティ拠点として位置づけられてきた。

 言うまでもないが、都会と田舎にはライフスタイルの違いがある。ただ、今までの指標では収まりきれないほどに、二つの距離がどんどん広がっている。

 バールも、その一つだ。

 「コモ湖近くの小さな街にある自宅付近のバールは2-3回も通うとTu (「君」「おまえ」)で呼び合うのよね。でも、ミラノのオフィスの隣にあるバールで毎朝カプチーノを飲んで6年になるけど、店員は私のことをLei (「あなた」)でまだ呼ぶのよ!」

 ミラノにも「君」「おまえ」で気楽に呼び合うバールが沢山ある。が、郊外からの通勤者が増えたことでコミュニティとしての地位を失いつつある。その一端を窺わせるエピソードだ。

 「今日も誰かに会えるかなぁ」という期待でバールに足を運ぶ人が減っているわけだ。 変化はまだある。

 ぼくが20年以上前にイタリアに住み始めて驚いたのは、若者と年寄りが対等に雑談する光景だった。郵便局の窓口や駅の発券売り場で順番を待ちながら、50歳も離れていそうな見知らぬ同士がお喋りをしていた。

 「バールの店内を観察してもね、年寄りグループと若者グループが交わることって少なくなっているわ。同じ世代の見知らぬ人とは話すのにね」

 チマトリブス氏は風景の変貌をこう語る。この世代間の沈黙も都会のほうが目につく。

 とすると「年寄り文化」に居心地の悪い若者は、どこに自分たちの居場所をみつけるのか。

 夕方からはじまるサービスにハッピーアワーがある。イタリアでは特にミラノで盛んだ。デザイン系カフェが力を入れているが、飲み物をグラス単位で提供し、ビュッフェスタイルで食べ放題のところが多い。若者はこのタイプの店が集まっている地区に遠くからでも出かける。

 他方、昔ながらのバールは調理施設が整っていないこともあり、この種のサービスに熱心ではない。ここにも若者の足が地元のバールから遠のく背景がみえる。

 余談だが、このハッピーアワーにおいて飲まれるお酒は圧倒的にカクテルでありビールである。スプマンテ(発泡性白ワイン)が少々。コスパが重視されている。するとワインが落ちる。

 イタリアのイメージが裏切られたのではないか?

 バールのたまり場としての役割が小さくなった。その原因にフェイスブックなどのSNSが影響しているのではないか、とチマトリブス氏に聞いてみた。

 「手持ち無沙汰の時間をバールの雑談で過ごすのではなく、スマホで仲間とチャットするに費やしているのは確か。そのかわりヴァーチャルで知り合った友人とリアルで会うためにバールを使う、というわけ」

 人口密度の高い都市で目立つ「目的がはっきりした利用」だ。

 ネットの普及とグローバル経済の拡大によって地球上のあらゆるところが繋がり、地域差がなくなってきたとよく言われるが、これは大都市間に地域差がなくなってきているとの現象を指している。

 バールの変貌を見ても分かるように、ミラノにインターナショナルなスタイルが定着したことによって「イタリアらしさ」が減り、地方には昔ながらのコミュニティとしての「イタリアらしい」バールが根強く残る。そこで結果的に大都市と地方の違いが浮き彫りになる。もちろん以前もあった違いだが、その差が拡大している。

 このギャップに対して3つのアプローチがある。ギャップを減らすのか、ギャップを都会がどう生かすのか、ギャップを地方が逆にどう生かすのか。いずれの場所でも強く問われている課題だ。

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