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エビスさんはいつ七福神に入ったのか 「恵比寿・大黒」の由来から「福神」の力まで 松岡正剛
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【BOOKWARE】編集工学研究所所長、イシス編集学校校長の松岡正剛さん=9月14日、東京都千代田区の「丸善丸の内店内の松丸本舗」(大山実撮影)
七福神は「恵比寿・大黒・毘沙門天・福禄寿・寿老人・布袋・弁才天」だ。いまはみんながそう思っているし、実際にも各地の七福神めぐりをすると、この七体七神がにこやかに迎えてくれる。まとめて「福神」という。
しかし、日本の福神信仰はもともとは恵比寿と大黒天が先行して、そこに弁才天と毘沙門天が加わり、そのあとしばらく吉祥天や虚空蔵が出入りしながら、江戸時代半ばにいまの七福神に定着した。しかもこの七神は恵比寿以外はすべてインドや中国からの外来神なのである。
大黒さんはヒンドゥー教のマハーカーラという憤怒神、弁天さんもヒンドゥーの怖い河川神サラスパティー、福禄寿は中国の南極老人星で、毘沙門さまは仏教化した四天王のうちの多聞天の別名だ。故郷がみんな違っている。
それではエベッさんはどんな日本固有の神さまだったのか。十日戎で賑わう「商売繁盛、笹もってこい」のエベっさんの履歴書はどういうものだったのか。
エビス神の本体は古来の海神である。海の情報や収穫を司る。このエビスに日本神話のごく初期に登場して流されたヒルコが習合した。『古事記』には、イザナギとイザナミが生んだ最初の子がヒルコだったのだが、あまりに恵まれない姿だったので舟に乗せて海に流したとあって、ヒルコが流離神だったことが述べられている。
ところが鎌倉時代には、実はヒルコはエビス神だったという風説が定着し、むしろ恵みをもたらす海上神だということになった。エベっさんが右手に釣竿を持って左手に鯛を抱えている姿をしているのも、そうした由来にもとづいている。日本には「流された神こそがかえって恵みをもたらしてくれる」という信仰が根強かったのである。
その後、エビスは、出雲神話の主人公であるオオクニヌシ(大国主神)の子のコトシロヌシ(事代主神)と習合して、「国譲り」の力を秘めるものとされるようになった。コトシロヌシが海上からやってくる神だったので合体してしまったのである。
もっとエビスは変化した。日本人得意の「見立て」の作用がはたらいていったのだ。たとえば「恵比寿と大黒」が並び称されたのは、大国主をダイコク様と呼んでいるうちに大黒神とつながって、それがコトシロヌシ=エビスとの関係で福神として並称されるようになったからだし、西宮の今宮戎神社でエベっさんが商売繁盛の神さまになったのも、「国譲り」の力が商売の力に結びついたからだった。
それだけではない。実は室町時代半ばには全国の津々浦々で漁師や商人たちが寄り集まる「ゑびす講」という寄合がさかんになっていて、ここで頼母子講のようなものが営まれると、こういうセフティガードのしくみが機能できているのも、エベっさんのおかげだろう、だったらもっと大切にしようということにもなったのだ。
エビスさま、まことに万能なのである。これももとはといえば、ヒルコのような「負」をもった神が逆転してエビスにつながったという「反対の一致」(宗教学者エリアーデの用語)がみごとにおこっていたからだった。これらは日本の神仏習合史のひとつの例にすぎないが、日本の神仏の多くが意外な「反対の一致」をおこしてきたこと、忘れてはならない。
たいへんよくできた本だ。元読売新聞の記者がまとめたものだが、エビスとヒルコの関係を追いながら、そこに多様な民俗信仰が寄り集まってきていたことを証した。「福神学入門」というサブタイトルがついているように、七福神の謎も解いている。とくに西宮神社の特別な由来にエビスとヒルコをつなげている背景と事情がひそんでいるという推理がおもしろく、ぼくは大いに愉しませてもらった。エビスはたんなる商売繁盛の神ではなかったのである。
やや大きな本だが、エビスさまのことなら何でもわかる事典だ。だが安易ではない。エビス信仰、ヒルコ信仰、事代主神との関係、夷三郎伝説、百太夫伝説、みんな扱っていて、しかも本格的だ。ぼくが嬉しかったのは瀧川政次郎、喜田貞吉、宮本常一の過去の名論文から鈴鹿千代乃や吉井良隆の話題の論文が採録されていたことだ。一般読者には全国のえびす講と民俗祭事がずらりと案内されていることだろう。この本が入手できずとも、十日夷には行きなさい。
七福神ほど変な謎が多い神さまセットはない。恵比寿を除いた6神すべてがインドや中国の神々で、その恵比寿ですら複数のルーツをもっている。本書はそのエビス・ルーツをさらに海外にまで求め、ついにユダヤ神と結びつけた。七福神が乗り合わせている宝船も謎が多い。京都の御陵神社の宝船の絵にはムカデと隠れ笠が描かれているのだが、その正体がいまだわからない。この著者には東北の蝦夷を探求した好著もある。
あまり知られていないようだが、日本のアダムとイブに当たるイザナギとイザナミが最初に生んだ子がヒルコ(水蛭子)で、次に生んだのがアワシマ(淡島)だった。いずれも水子に近く棄てられた。ヒルコは葦舟に乗せられて海上に流された。アマテラスやスサノオがイザナギによる禊(みそぎ)から生じたのはそのあとだ。ヒルコ伝説は調べていけばいくほど奥が深い。本書はその多様な謎をよくぞ追跡した。同じ著者の『ツクヨミ』とともに愛読した。(編集工学研究所所長・イシス編集学校校長 松岡正剛/SANKEI EXPRESS)