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双子はなぜ冷酷な怪物に 関心抱いた 映画「悪童日記」 ヤーノシュ・サース監督インタビュー

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双子はなぜ冷酷な怪物に 関心抱いた 映画「悪童日記」 ヤーノシュ・サース監督インタビュー

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「本当に起きた出来事のように作品を撮るにはどうすべきか常に頭を悩ませました」と語るヤーノシュ・サース監督=2014年8月6日、東京都中央区銀座(高橋天地撮影)  ハンガリー出身の亡命作家、アゴタ・クリストフ(1935~2011年)の世界的なベストセラー「悪童日記」(1986年)を、同胞のヤーノシュ・サース監督(56)が映画化した。「スイスにあるクリストフさんの自宅を訪ね、本人から『ぜひあなたにお任せしたい』と映画化の許可を得たときには感激しましたよ。10年以上も胸に抱いていた私の夢がやっとかなったのですからね」。サース監督は声を弾ませた。

 1944年、ナチス・ドイツ支配下のブダペスト。戦火を避けるため、双子の兄弟(アンドラーシュ、ラースロー・ジェーマント)は親元を離れ、祖母(ピロシュカ・モルナール)が暮らすオーストリア国境の小さな町へ疎開した。近隣の住民からは「魔女」と恐れられるほど意地悪な祖母の農園で、2人は重労働を強いられ…。

 クリストフは56年の「ハンガリー動乱」を逃れ、21歳で乳飲み子を抱えてフランス語圏のスイス・ヌーシャテルに亡命した。51歳のとき、苦学して身につけたフランス語で出版したのが「悪童日記」だった。双子の視点から一人称複数で語る手法に加え、クリストフが外国人であるがために必然的に紡ぎ出されていく簡潔かつ客観的な記述スタイルは、クリストフ流として文壇でその名を高めた。

 「ハンガリー語」に原作者喜ぶ

 15年前、サース監督は友人の勧めで初めて原作を読んだ。「フランス語は日常会話ができる程度」だからと、ハンガリー語版で味わい、純粋無垢(むく)な双子の兄弟が試行錯誤を重ねてたくましさを身につけていく姿に魅了された。映画はフランス語ではなく、ハンガリー語で撮影され、演出もハンガリーへの郷愁に満ちあふれたものとなった。それは、クリストフを口説き落とし、映画化権を手にする決め手ともなった。「原作では登場人物の国籍や舞台があいまいに描かれています。でも、クリストフに強く申し出ました。『原作はあなたの体験をベースに書いたお話。映画では母国語のハンガリー語で撮影します』とね。彼女はとても喜んでくれましたよ」

 確執ゆえに実母とは20年も没交渉となった祖母に、双子の兄弟は次第に親愛の情を育んでいく。生みの親より育ての親? 作品は子供との距離の取り方を考えさせる親向けのよき教材ともいえよう。サース監督が原作小説を読み、関心を抱いたのも双子の兄弟の心の変化にあった。「2人がどのように『生きる』ということを学んでいったのか。さらに言えば、なぜ冷酷な怪物になってしまったのか。原作を読むと、人間の内側の奥底にある感情を感じ取ることができるんです」

 クリストフはクランクインの2カ月ほど前、主演に抜擢(ばってき)された双子の兄弟の顔すら見ずに病のため世を去った。「数カ所直されたけれど、彼女は僕の脚本に満足してくれました。きっと映画も気に入ってくれるでしょう。また一緒にたばこを吸いながら、ウイスキーを空けたかったな」。サース監督は懐かしそうに振り返った。10月3日からTOHOシネマズ シャンテほかで全国順次公開。(高橋天地(たかくに)、写真も/SANKEI EXPRESS

 ■Janos Szasz 1958年3月14日、ブダペスト生まれ。映画・舞台監督、演出家、脚本家。映画の監督作は、94年「Woyzeck」(米アカデミー賞外国語映画賞ハンガリー代表)、97年「The Witman Boys」(カンヌ国際映画祭「ある視点」部門出品)、2002年「Broken Silence」(スティーヴン・スピルバーグ製作)など。「悪童日記」は米アカデミー賞外国語映画賞ハンガリー代表に。

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