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進化し続ける最強キャラクター ハローキティ 40周年

 ≪ずっと「アイドル」として育ってきた≫

 サンリオ(東京)の人気キャラクター、ハローキティが今年、誕生から40周年を迎えた。キャラ界で不動のセンターポジションを築いたのは、3代目デザイナー、山口裕子(ゆうこ)さんのプロデュース手腕があったから。ただかわいいだけではない。人々の憧れを集め続けるトレンドセッターとしての「キティちゃん」の横顔に迫った。

 アイドルの写真をざっと時代順に眺めると、大衆文化や流行の移り変わりがよくわかる。実は、キティちゃんもそう。「キティをアイドルとして育てたい。ずっとそう思ってやってきました」と山口さんは、巧みに流行を取り入れ、キティちゃんのおしゃれに気を使ってきた。

 意見をできる限り聞いて

 キティちゃんは、最初からスターだったわけではない。山口さんが3代目デザイナーに就任したのは1980年で、キティちゃんの誕生は74年。ビニール製「プチパース」(75年発売、220円)の名もなきネコのキャラとしてで、その後「ハローキティ」の名がついた。

 ところが70年代後半は、サンリオが開発した星の子の双子キャラ「リトルツインスターズ(キキ&ララ)」が人気だった。

 「このままじゃこの子(キティ)は生きられない、変わらなきゃと思った」と、山口さんは80年にキティ担当に就任すると、まず「サイン会」を始めた。

 山口さんはファンの意見をできる限り聞いた。「いつも変わらない」「着ている洋服が一緒」「色がきつい」。いつも顔を真正面に向けたままのキティは飽きられていた。

 当時、アイドルで人気だったのは、清楚で女の子らしい松田聖子だった。81年、山口さんはまず、「柔らかさやかわいさが感じられるように」とキティの輪郭線(アウトライン)をはずし、顔を少し斜めに向け、動きを出した。

 次には「キティを女の子が憧れるファッションリーダーに育てよう」。82年、当時少女の憧れを集めた高価なぬいぐるみ「テディベア」を抱いたキティをデザイン。翌83年は当時洋服で流行したギンガムチェックをとり入れ、ファッショントレンドにも敏感に。85年、ついにサンリオキャラで売り上げナンバーワンを獲得した。

 ファンの成長に寄り添う

 ところが87年、高校生から1通の手紙が届く。「ずっとキティちゃんのファンだけれど、子供っぽいと言われてしまう」と悩んでいた。時はDCブランドブーム、街にはモノトーンの装いがあふれていた。「それで高校生向けのグッズにチャレンジさせてください、と会社に言って、モノトーンシリーズを出しました」。ファンシーグッズとしては異例の黒。しかしこれが当たった。以降、キティは従来通りの小学生向けの文具などの路線と、もう一つ、OLになり子供を産み…と成長してゆく昔からのファンに寄り添い、キッチン用品など幅広くグッズを展開していった。

 「次、どうなるの?」

 サンリオで役職についてもサイン会でファンとの交流を欠かさない山口さんは、いつもこう聞かれる。キティちゃんが次に身につけるのは、何色のどんなアイテムなんだろう。そんなふうに期待されるのは、やはり山口さんがキティに着せたものが、その後、流行のファッションアイテムになることがあったからだ。例えば2009年のキティは「だてメガネ」姿。今やおしゃれアイテムの定番だ。

 実はこうして商品になるもっと前に「実験的なファッションをキティに試みてきた場がある」と山口さん。それが、一時期発行されていた雑誌「キティグッズコレクション」の表紙デザインだ。

 98年、サイン会に来たルーズソックス姿の女子高生たちが山口さんに「キティちゃんが蜂になったらかわいいよ」と言った。「最初は彼女たちが何を言ってるのかわからなかったのですが(笑)、キティグッズコレクションの表紙に。そしたら大反響でした」。この“コスプレ”が後の「ご当地キティ」の原型に。また2001年にはキティちゃんにエクステ(つけ髪)を。「アメリカのセレブ、ヒルトン姉妹(パリス&ニッキー)に教えてもらったの」。これも数年後、ファッションアイテムの定番になった。

 「次は何を着せますか?」。インタビューの最後、山口さんに聞いた。すると「それは世の中の流れがどうなるかですよ。みんながキティに何をしてほしいと思うのか。サイン会でファンとコミュニケーションした結果を、実現していきたいですね」と言った。(津川綾子/SANKEI EXPRESS

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