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努力を怠らず、いつも謙虚でなければならない プロレスラー ハルク・ホーガンさんインタビュー
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「日本は『家』みたいなもの。1980年の来日以来、年間を通して20週間いることもあった。30年来の友達もたくさんいるんだ」と声を弾ませる、プロレスラーのハルク・ホーガンさん=2014年7月11日、東京都文京区(宮崎裕士撮影) 日本でプロレスのリングに登場したのは実に11年ぶりだ。2メートルを越える上背に岩のような筋肉、並みいる強豪レスラーたちの中でもひときわ目立つその大男は、米マット界のみならず世界を代表する不世出のスーパースター、「超人」ハルク・ホーガン(60)だ。今年2月、米プロレス団体「WWE」(ビンス・マクマホン会長兼CEO)に7年ぶりに電撃復帰し、その日本公演(7月10~12日)の大会ホストとして来日。11日には1万2139人が待つ両国国技館(東京都墨田区)へ駆けつけ、試合こそ出場しなかったが、会場を沸かせた。
「イチバーン!」。大好きな米国人アーティスト、リック・デリンジャー(66)の「リアル・アメリカン」を入場曲にノリノリで花道に登場したホーガンは、右手人さし指を天高く突き上げる得意のポーズを決め、何度も野太い声を張り上げた。真っ赤なバンダナにタンクトップ、黄色いサングラス。リングインしたホーガンは開口一番「アックス・ボンバー(必殺技の名前)」。場内割れんばかりの声援にご機嫌な様子で、片手を耳に当て観客にさらなる声援を求める、もう1つの得意のポーズもたっぷり披露して、ハルカマニア(ホーガンのファン)を喜ばせた。
マイクを握ったホーガンは「俺はこの日本のリングで(アントニオ)猪木、アンドレ・ザ・ジャイアント、藤波(辰爾)、長州力、タイガー・ジェット・シン、スタン・ハンセン(といった歴代のスター)と戦ってきたんだ」と、かつて死闘を繰り広げたライバルたちの名前を挙げて会場を盛り上げたあと、「日本で戦い、WWEでチャンピオンになった私のDNAは、現在の(ジョン・)シナといった偉大なチャンピオンたちに引き継がれている」と強調した。日本のハルカマニアには「エネルギーをくれてありがとう」と感謝の気持ちを繰り返し伝えた。
そんな熟練のエンターテイナーのホーガンだ。きっと素顔もいい意味でお調子者なのだろう…と思いきや、まったく逆であることが分かり、驚かされた。リングインの数時間前、都内ホテルでSANKEI EXPRESSの取材に応じたホーガンは、常に「天狗になるな」と自分に言い聞かせ、プロレスという仕事に対しては「ひたむきな努力を怠らず、いつも謙虚でなければならない」とストイックな姿勢で臨んでいるという。「ファンのみんなも色々な夢を持っていると思うけれど、それが夢を実現させるのに必要な心構えだと思うんだ」
だから、娘でミュージシャンのブルック・ホーガン(26)にも同様の戒めを促しているそうだ。「いい曲を書いて作品がヒットしたからと言っても、大喜びするのではなく、『次にもっといい曲を書こう』と努力することが大事だとね。プロレスと同じことだよ」。そう話しつつも、ホーガンは記者に携帯電話を見せ、ブルックが手がけた曲はすべてファイルとして保存し、移動時間に聞くのを楽しみにしているのだと、優しいパパぶりも披露してくれた。
ちなみに前回の2007年の来日は、ブルックのCDデビュープロモーションに同行してのものだった。元々ロックバンドからエンターテインメントの世界へと足を踏み入れたホーガンは「娘からライブで共演してほしいと何回かオファーがあったんだ。いつか実現できるといいなあ」と、百戦錬磨のいかつい顔を楽しげにほころばせた。
還暦を迎えたホーガンだが、まだまだ挑戦したいことが山ほどある。目下、セミリタイヤの状況だが、現役生活にピリオドを打つことなど到底考えられないようだ。
「競技者として感じるプロレス自体の楽しさに加えて、この業界自体がビジネスを展開するうえで刺激的で面白いものだから、俺は離れられないんだ」。WWEの人気コンテンツが世界に発信されていることを踏まえ、「テレビ番組などを通して、おじいちゃん、お父さん、孫の世代、みんなにプロレスを見てもらい、プロレスとの絆を築き、深めてもらう。俺はそんな橋渡しをしていきたい。試合に出ない場合でも、選手たちの精神的なサポートに力を注ぐとか、関わり方はいろいろとあるはず。『Immortal(不死身の)ハルク・ホーガン』という形でずっと関わっていくよ」。(文:高橋天地(たかくに)/撮影:宮崎裕士/SANKEI EXPRESS)