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60年代以降のロック牽引 ルー・リードさん死去

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60年代以降のロック牽引 ルー・リードさん死去

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 ≪貫いた「Walk on the Wild Side」≫

 1960年代後期、ロック音楽に高い芸術性を持ち込んだ米バンド「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド」の元リーダーで、伝説的なロック歌手のルー・リードさんが10月27日午前11時、肝臓関係の病により、ニューヨーク州のサウサンプトンで死去した。71歳だった。シンガー・ソングライター兼詩人として異能ぶりを発揮し、ボブ・ディラン(72)らと同様、60年代以降のロック音楽の発展に大きく貢献した。代表曲「ワイルドサイドを歩け」(72年)の歌詞通り、商業的成功より挑戦的でワイルドな生き様を貫いた。

 AP通信やロイター通信などが、彼の著作権エージェントからの情報として報じた。5月に肝臓移植手術を受け、公式サイトで「これまでより大きく強くなった。ステージに戻るのが楽しみだ。みなさんの心や魂、宇宙、未来につながる曲をたくさん作ります」と決意表明したが、ここ数カ月、体調が思わしくなかった。

 売れない名盤

 「ヴェルヴェットのデビューアルバムは数千枚しか売れなかったが、買ったやつらはみんなバンドを組んだ。もちろん、僕もそのうちの一人だった」

 英人気バンド、ロキシー・ミュージックで活躍した英大物プロデューサー、ブライアン・イーノ(65)は90年、米シカゴ・トリビューン紙とのインタビューでこう答えている。

 67年発売のこのアルバムはポップ・アートの旗手と呼ばれた米芸術家、アンディ・ウォーホル(1928~87年)がプロデュースとジャケットデザインを担当したが見向きもされなかった。

 しかし、荒削りな演奏に乗せ、薬物中毒者の独白を一人称で淡々と描写した「ヘロイン」など、当時タブーだった題材に挑んだ作風は時代を20年以上先取りしたもので、今では名盤中の名盤と評価されている。

 ボノらに影響

 1942年、ニューヨーク・ブルックリンの中流家庭に生まれたが、学校を嫌い、親とも対立しながら育った。シラキュース大学でジャーナリズムや映画学を学び、有名な米詩人、デルモア・シュワルツ(1913~66年)に師事したのを機に文学や音楽の道に進んだ。

 65年、英ミュージシャン、ジョン・ケイル(71)と65年にヴェルヴェットを結成するが、70年に脱退。72年からソロ活動に入った。

 「フォーク音楽の叙情性にパンクロックの力強さと暗さを融合」(フランス通信)した音楽性と詩的な歌詞、そして独特の無表情な歌い方で「パーフェクト・デイ」(72年)など名曲を発表。デヴィッド・ボウイ(66)やU2のボノ(53)らにも影響を与えた。発表したスタジオ作は22枚。米メタルバンド、メタリカとの共作「ルル」(2011年)が遺作となった。

 「天国では穏やかに」

 社会の弱者やはみ出しものを愛し、商業主義に異を唱え続けた。代表曲「ワイルドサイドを歩け」は、舗装された道の脇にある荒れた側道の意味で、ウォーホルの創作スタジオにたむろしていた女装倒錯者らを題材に「“彼”は眉毛を抜いて、すね毛を剃(そ)って“彼女”になった/ワイルドで危険な側を歩こうぜ」と歌った。

 影響力の大きさからか、多くの有名人が追悼の意を述べた。米女優のスーザン・サランドン(67)は「ニューヨークは独創的な才能を失った。とても悲しい」とツイート。また、彼と同じく60年代から活動してきた英大御所バンド、ザ・フーは公式ツイッターでこう追悼した。

 「(天国では)穏やかな道を歩けよ」(SANKEI EXPRESS

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