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行き場失った盲目の人権活動家・陳光誠氏 米保守系シンクタンクが「助け船」

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行き場失った盲目の人権活動家・陳光誠氏 米保守系シンクタンクが「助け船」

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 中国当局の自宅軟禁から逃れた後、当局の許可を得て昨年5月から留学名目で米国に滞在してきた中国の盲目の人権活動家、陳光誠氏(41)が、米国の保守系シンクタンク「ウィザースプーン研究所」(ニュージャージー州プリンストン)の研究員として迎え入れられることが10月2日、分かった。中国側の圧力で当初、客員研究員を務めていた米ニューヨーク大学を追われ、今夏から就職先を探していた陳氏に、彼と同様、人工中絶への反対姿勢を貫くこの研究所が“助け船”を出した形だ。

 ニューヨーク大退任

 ロイター通信やフランス通信(AFP)などによると、陳氏はこの研究所で今後3年間、人権問題の研究員を務めるほか、アメリカ・カトリック大学(ワシントンDC)や、極めてリベラルな活動で知られる「ラントス財団」(ニューハンプシャー州)での活動にも参加する。

 陳氏は今年1月、この財団が人権の重要性を広く訴えた人物に贈る昨年の「ラントス人権賞」を受賞。式典で「中国の変革には国際社会の圧力が極めて重要」と強調、米国政府は人権問題で中国に一切妥協すべきでないと訴えた。

 中国政府に批判的な言動を続けてきただけに、陳氏と中国当局は緊張した関係が続いてきた。陳氏は今年6月、客員研究員を務めていたニューヨーク大学が、中国政府からの「顕著で容赦ない圧力」に屈し、客員研究員を退任し家族とともに大学から去るよう陳氏に求めたことを暴露。大学側は中国当局の圧力を否定したが、それ以降、陳氏は職探しを迫られてきた。

 真実の語り部に

 そんな陳氏を受け入れたウィザースプーン研究所のルイス・テレス所長はメディアに「われわれは、金銭面の保障や、彼が仕事をするための家などの問題について協議している」と述べ、受け入れ準備が進んでいることを認めた。

 さらに「陳氏に特別なことを求めてはいない。最も重要なことは、陳氏が真実の語り部であり、自分が見た真実を語ろうと努力していることだ」と強調。彼のこれまでの活動を評価して受け入れを決めたことを明かした。

 また、昨年から陳氏の渡米をサポートしてきたニューヨーク大学のジェローム・コーエン教授は1日朝、彼とこの件で電話で話したと明かし「喜ばしいし、(彼にとって)最良(の結果)になるよう望んでいる。そしてわれわれはこれからも友人であり続ける」と述べた。

 当局の「思うつぼ」

 陳氏の今後の活動は、ニューヨークを拠点にウィザースプーン研究所とカトリック大学、そしてラントス財団という保守とリベラルの双方から支援を得て、中国の人権抑圧などを多角的に訴えるものになる。思想の違いなどを問題視する声もあるが、米国に本拠を置くキリスト教系人権監視団体「チャイナ・エイド」の設立者、ボブ・ウー氏はAFPに「陳氏によって3組織の活動が政治的範囲やイデオロギーを超えるものになる」と期待を寄せた。

 とはいえ、中国側は陳氏の動きを大して気にはしていないようだ。陳氏のような国際社会が注目する活動家は、中国国内で活動されると体制批判の拡大につながる恐れがあるが、再入国させなければ中国国内での影響力は弱まる。海外で好き勝手してもらっても痛くもかゆくもないわけだ。“国内の小さな監獄に入れると欧米がうるさいから、海外という大きな監獄に入れてしまえ”という発想だ。陳氏が米国に活動拠点を確保したことは、中国当局にはまさに『思うつぼ』なのかもしれない。(SANKEI EXPRESS

 ■陳光誠 1971年11月、山東省臨沂市(りんぎんし)の貧農の家に生まれ、乳児の頃、高熱を出して失明。大学在学中に独学で法律を学び、在野法律家として社会運動の道に。2005年、一人っ子政策による人工中絶や不妊手術を強制した市当局に対し集団訴訟を敢行。当局は06年から約4年間にわたって陳氏を市内の施設に拘禁し、10年9月からは妻とともに自宅に軟禁した。陳氏は12年4月の深夜、塀をよじ登って自宅から脱出。視力がないため200回以上転倒しながら歩き続け、約20時間後、支援者に救出された。翌5月には米中両国政府の了解の下、北京から空路でニューヨークに向かい、事実上米国に亡命した。ニューヨーク大学で研究員を務めたが、13年6月、中国当局の圧力でその座を追われた。

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