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パールデザイン コンテスト開催(上) 「真珠×学生」若い感性キラリ
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「パールデザインコンテスト」の最終審査は、9月4日に文化学園大学の講堂でファッションショー形式で行われた=2013(平成25)年、東京都渋谷区(横浜国立大学大学院2年、山市直佑撮影)
日本が世界に誇るジュエリー「真珠」を若い感性でさらに輝かせようと、日本真珠振興会(東京都中央区)が、学生を対象とした「パールデザインコンテスト」を開催した。2013(平成25)年9月4日に、ファッションショー形式の最終審査が行われ、各賞が贈られた。「真珠×学生」のコラボでどんな新しいデザインが生まれたのか。横浜国立大学大学院2年の学生記者、山市直佑さん(27)がリポートする。
□今週のリポーター 横浜国立大学大学院 山市直佑さん
2013年、夏。ある試みが行われた。「パールデザインコンテスト」は、日本真珠振興会の提案から始まった。従来の真珠に対するイメージを打ち壊し、若い感性で、真珠と装いについて新たな提案をしてもらおうという試みである。
若い感性は、既成概念に縛られない発想から生まれるという考えから、募集対象を学生に絞った。さらに、新しい提案を求めて、デザインも「ジュエリー」という枠組みを外し、さまざまな用途で幅広く募ることにした。
日本真珠振興会の主催で、水産庁が後援し、文化学園大学(東京都渋谷区)が協賛するという「産官学」の共同プロジェクトとして始動。今後、デザイン志望の学生の「登竜門」になっていくとの期待も膨らむ。
立案から数年をかけて実現した日本真珠振興会の担当者、森永のり子さん(50)は、真珠関連産業の現状について、こう話す。
「真珠は、日本が誇れる技術の結晶だったんです。今から100年以上前に、日本人が世界で初めて養殖真珠を発明し、それ以来、『パール』といえば、『ジャパン』といわれるほどに日本の真珠は世界に称賛されてきた歴史があります」
真珠は日本を代表する輸出産業となったが、円高や安い海外産品の台頭で次第に輸出が減少。1990年代以降、政府の規制緩和に加え、真珠を育てる「あこや貝」のウイルス感染による大量斃死(へいし)などに見舞われ、厳しい状況にある。
「大きな打撃でした。廃業した業者さんもたくさんいます。この流れを少しでも変えるには、真珠に対するイメージを変える必要がある、と考えました」と、森永さんはコンテストを企画した意図を語る。
「日本が誇る真珠の、ナチュラルで高貴な美しさを最大限に生かしながら、今に生きる人々の多様なライフスタイルにマッチした、実際に身に着けたくなるデザイン」が、コンテストのテーマ。「日常使い」ができるジュエリーや真珠と服飾の新しいコーディネートなどの提案を募ることにした。
6月に作品の募集を始め、7月12日が応募作品の締め切りというタイトなスケジュールだったにもかかわらず、370件もの応募があった。この中から20作品が厳選され、最終審査へと進んだ。
ファッションショー形式の最終審査は9月4日、文化学園大学で行われ、一般にも公開された。講堂に舞台が組まれ、モデルが歩く真っ白な「ランウェイ」は、約10メートルと本格的だ。ショーのモデルは文化学園大学の生徒たちが務めた。
ランウェイ両脇の白い壁面をスクリーンにし、デザイン画を投影。それを実際に身にまとったモデルたちが、さっそうと歩いてくる。事前にホームページでデザイン画を目にしていたが、実物はライトの中で美しく輝いていた。
真珠をふんだんに使った作品は、古風なスタイルから、真珠のイメージとはかけ離れた奇抜なものまで、さまざまだった。例えば、大きく女の子の絵がプリントされているように見える青地の短いワンピースは、その女の子をよく見ると、編み込んだ髪に真珠が飾られていた。花かんざしの作品は、めしべの代わりにたくさんの真珠があしらわれていた。和から洋、ジュエリーから服飾まで、ジャンルも幅広く、森永さんが求めていた「日常使い」ができる作品がそろっていた。
「冠婚葬祭の折に女性が身につけるもの」という真珠に対するイメージを打ち壊し、華やかな装いや、ちょっとしたおしゃれのなかにさりげなく身に付けるアイテムに変えていきたいというコンテストの趣旨がはっきりと伝わるショーだった。(今週のリポーター:横浜国立大学大学院 山市直佑/SANKEI EXPRESS)