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【取材最前線】日本とインドを結ぶボース忌

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【取材最前線】日本とインドを結ぶボース忌

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 インドの独立運動家、チャンドラ・ボースの慰霊祭が毎夏、東京都杉並区の蓮光寺で営まれていることは、以前、当コラムで紹介した。そのボース忌に“異変”が起きている。日本人や日本在住のインド人がどっと押し寄せ、寺側が“うれしい悲鳴”を上げるほどの盛り上がりを見せているのだ。

 ボースは1897年、英国の植民地だったインドのベンガル地方に生まれた。ガンジーの反英闘争に参加した後、「敵の敵は味方」の論理で、1941年に軟禁中のコルカタの自宅を脱出、ドイツ経由で日本に渡った。当時の東条英機政権の後押しで自由インド仮政府を樹立したが、日本の敗戦が決まってから3日後の45年8月18日、台湾で飛行機事故により死亡した。

 ボースの遺骨は日本に移送され、東京のインド人同志に渡された。ちょうど、連合国軍最高司令官のマッカーサーが日本にやって来て間もない頃で、日本軍部と関係の深かったボースの葬儀を引き受けてくれる寺院がなかなか見つからなかった。そんなとき、「霊魂に国境はない」と葬儀を快諾したのが蓮光寺だったのである。

 今年も命日の8月18日に法要が営まれた。蒸し暑さが続く中、ボースの遺骨が安置されている本堂に詰めかけたのはおよそ120人。日本人が約80人、インド出身者が40人余りいた。

 例年、参会者は全体で50人ほど(大半が高齢の日本人)だったが、80人を超えた2011年から変わり始めた。昨年は実に140人を数え、うちインド出身者が約100人を占めた。望月教善住職も「本年は例年になく大勢の方、特にインドの方に来ていただき、ネタジ(指導者の意。ボースの尊称)もたいへん喜ばれていると思います」と挨拶(あいさつ)したほどだ。

 近年、参会者が増えた背景には、やはりインターネットの影響がある。インド出身者の場合、「フェイスブックで法要を知った」という人が多かった。そして忘れてならないのは、法要を続けてきた寺側の努力だろう。

 来日して7年のインド人男性(31)も「たくさんの日本人がネタジをしのんで集まってくれたことに感激した。蓮光寺は日印を結ぶ架け橋として語り継がれるでしょう」と感慨深げだ。

 来年は70回忌が営まれる。(外信部 藤本欣也/SANKEI EXPRESS

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