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【取材最前線】名門バレエ団に潜む影

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【取材最前線】名門バレエ団に潜む影

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 バレリーナをうらやましいとずっと思っていた。身体能力の高さや優雅な挙措に憧れたからだけではない。職業人としてうらやましかった。

 無論、プロのバレリーナになるまでには過酷な練習と非情なまでの選抜が繰り返される。10年以上も前だが、ボリショイ・バレエ学校のレッスン風景を見学させてもらった。教室の中で年端もいかない少女たちが1列5人ほどで4列に並ばされていた。1列目は一番上手なグループ、最後の列は下手なグループだ。幼いからといって容赦はない。序列は実力で決まることをたたき込まれる。4列目の女の子の何人かは、しゃくりあげながらジャンプの練習をしていた。

 こんな厳しい職業をなぜうらやましいと思ったのか? それは、ひとたび舞台に立つことができれば、そして短くてもソロのパートなどがあれば、自分の持てる力や個性をだれの思惑も影響も受けずに発揮できる-と考えていたからだ。

 バレエ団の指導部にいかに気に入られ、抜擢(ばってき)されたとしても、見るほどのものはない、と観客に判断されればそれまで。実際、ときどきの芸術監督に抜擢され、新作の主役を務めながらその後を聞かないダンサーは多くいる。実力だけが純粋に評価される世界なのだと思っていた。

 しかし、これがいかに門外漢の考えだったかを思い知ったのがボリショイ・バレエ団のセルゲイ・フィーリン芸術監督襲撃事件だった。フィーリン氏は1月、自宅近くで顔面に強酸液を浴びせかけられ、失明状態となった。犯行はフィーリン氏の采配のせいで、親しいバレリーナが不遇をかこっていると考えた男性ダンサーが計画した。ボリショイにいるからといってだれもが脚光を浴びられるわけではない。後で酷評されてもまず舞台に立てることが大切なのだ。舞台に立てないダンサーの失望や疑問はさぞ深いだろう。

 ましてやダンサーとしての華の期間は限られている。「役の心が本当に分かるようになったときには体が動かず、体が思うように動くときには役の心が理解できていない」とはよくいわれることだ。

 卑劣な事件を擁護する気はさらさらないが、まばゆい舞台に潜む影の深さを改めて思い知った。(長戸雅子/SANKEI EXPRESS

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