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【軍事情勢】「夜明けの電撃戦」に見た神州丸の幻影

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【軍事情勢】「夜明けの電撃戦」に見た神州丸の幻影

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 安全保障問題を書いていると、戦史に顔をのぞかせるが、華々しさとは無縁な、それでいて現代戦との縁(えにし)を細々とつなぎ止めてきた兵器・兵装に、思いがいくことがある。陸海空3自衛隊と米海軍・海兵隊などが6月、米カリフォルニア州沖で実施した水陸両用戦合同演習「夜明けの電撃戦」の資料を読んでいる時もそうだった。

 揚陸艦の先駆け、日本

 陸上戦闘部隊が艦艇・航空機を使い水空域を越えて上陸する水陸両用戦は、陸海空といった軍種を超えた高度な統合作戦を要求される。中国軍艦・公船による日本領海侵犯・異常接近が続発する今、自衛隊が米軍から学ばなくてはならない重大分野だが、3自衛隊による海外での統合実動演習は初めてだった。

 水陸両用戦の中核は、港湾設備に頼らず海岸に直接、或(ある)いは航空機・上陸用舟艇を駆使して兵員や兵器、物資を上陸させる揚陸艦。海上自衛隊も輸送揚陸艦やヘリコプター空母を参加させたが、日米両国艦艇の映像を見た際、不思議な感覚を覚えた。大東亜戦争(1941~45年)で島嶼(とうしょ)をめぐり、彼我に分かれて激烈な水陸両用戦を繰り返した両国が、同盟軍として演習に臨んだためだけではない。

 おびただしい米国青年の血と引き換えに、大東亜戦争の対日上陸戦で学習した米軍。今でこそ、水陸両用戦における日本の「師」でもあるが、揚陸艦は世界に先駈け、大日本帝國(ていこく)陸軍が海軍の支援を受け極秘で建造した。艦名を「神州丸=満載排水量8160トン/全長144メートル」と「あきつ丸=9433トン/全長152メートル」という。船体内の甲板を全通させ、ここに上陸用舟艇を格納。艦尾に捕鯨母船のように門扉と発進スロープを設けて、タンクに注水して艦尾を下げ、舟艇を海面に発出できた。揚陸艦内にあるドック式格納庫に注水し、艦尾を下げて艦外にエア・クッション型揚陸艇(ホバークラフト)を進水させる現在のウエル・デッキ(ドック)構造に発想は似ている。航空機運用機能保有と合わせ、強襲揚陸艦の要件を満たしている、という言い方もできる。

 第一次上海事変の戦訓

 実際、第二次世界大戦(1939~45年)中、初期の揚陸艦建造に係(かか)わった米英の技術者は、支那事変の杭州湾上陸作戦(昭和12=37年)や翌年のバイアス湾上陸作戦で投入された神州丸を撮影するなど、神州丸の設計・性能情報入手に全力を挙げた。

 神州丸竣工(しゅんこう、昭和9=34年)を後押ししたのは第一次上海事変(32年)における上陸作戦の戦訓だった。上陸時間が長く、奇襲効果がその分薄れた点が課題になったのだ。既に大正末期、最大で完全武装兵員70人か物資11トンを載せる長さ14.8メートルの上陸用舟艇は配備していた。ところが、外洋航行はできず、上陸地点沖までは民間貨物船と大差ない母艦による運搬を強いられた。上陸前には、上甲板上の舟艇をクレーンで着水させ、兵員は舷側に垂らした縄ばしごを伝わり乗艇。兵器や軍馬もクレーンで舟艇内に降ろした。時間がかかるだけでなく、荒天時の任務遂行が困難だった。対米開戦ともなれば、米軍拠点フィリピンの攻略は失敗が許されぬ関門。難度は中国戦線の比ではなかった。

 その点神州丸は、船体内の格納庫より艦尾に設けた観音開きの門扉まで荷台を滑らせるレールが敷かれ、天井のワイヤーとともに物資・兵員はじめ、戦車まで舟艇に載せたまま、連続して送り出せた。格納庫側面=舷側の大型ハッチから、クレーンによる舟艇の着水も可能にした。船体内だけでなく最上/上甲板などの搭載舟艇を合わせると、最大58隻を数えた。

 上甲板上の格納庫には戦闘機/軽爆撃機/偵察機を12機収容。パチンコで石を飛ばす原理に似た射出機=カタパルトで、離艦のみができた。

 神州丸の戦果に、陸軍はあきつ丸建造を決め、42年に竣工した。特徴は、航空母艦を想(おも)わせる全通飛行甲板。飛行甲板後端のエレベーターで、船体内の格納庫より一部航空機を飛行甲板まで上げた。上陸部隊への航空支援を実施するためで、中型機なら30機近くを輸送できた。

 息づく帝國陸海軍の発想

 一方、連合軍側の揚陸艦の運用はどうだったのか。米軍の場合、大東亜戦争前の39年にヘリコプターの初飛行を成功させ、対潜水艦哨戒などに活用した。ただし、船団護衛に使った護衛(小型)空母を改装してヘリ空母として揚陸艦的任務を担(にな)わせたのは朝鮮戦争後の55年。ドイツ軍によるフランス占領などを受けた英軍が、欧州大陸上陸と独軍機甲部隊への対抗上、直接海岸に乗り上げる(ビーチング)戦車揚陸艦を考案したのが第二次大戦中の41年、実戦投入は米軍による43年のソロモン諸島上陸戦だから、帝國陸海軍による初期のドック型揚陸艦建造はパイオニアと言い切れよう。

 しかも、ドック型揚陸艦は進化を続ける。片や外洋航海能力に乏しく、地球上の15%の海岸にしかビーチングできない戦車揚陸艦は米海軍など海軍先進国では姿を消したか、消す運命にある。帝國陸海軍の発想自体は間違いではなかった。

 現在、世界の海軍が建造している各種揚陸艦は計127隻で、6割近くがアジア・豪州に集中。中国の違法な領有・資源開発への警戒が、建艦ラッシュの主要な誘因となっている。違法な領有・資源開発がどこまで膨張するかは習近平(しゅう・きんぺい)国家主席(60)が好んで使うフレーズ「中華民族の偉大なる復興」の背景を探れば、自ずと明らか。即(すなわ)ち、明/清帝国時代(1368~1912年)の中華勢力圏の再建である。中華の礼式に服させ、見返りに王位を与えて統治を委任する冊封(さくほう)体制は一時、日本とその周辺、南シナ海やインド洋の関係国にまで及んだ。

 特に、明の提督・鄭和(ていわ、1371~1434年)は、中華秩序建設も視野に、中東やアフリカ東岸まで大艦隊を率い、7回も遠征した。当時のマラッカ王国はインド洋遠征の根拠地となり、明帝国の保護下で成長した。

 揚陸艦14隻を含め、世界屈指のハイペースで軍艦を建造中の中国。時代が下がって尚(なお)、世界の商船の半数が通航するマラッカ海峡の周辺国・港を「保護下」にせんと睨(にら)んでいる。(政治部専門委員 野口裕之/SANKEI EXPRESS

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