その時代に出現したラーメン店を軸に日本経済の興隆と変貌、日本人の食文化の変遷を見ていく本連載。今回は高度経済成長の夢が終わり、中成長期から金ピカ80年代を目指す1970年代に時計の針を合わせる。焦点を当てるのは、横浜で産声を上げ、今や全国へ燎原の火のごとく広がる「家系」ラーメンだ。商品力の源泉には、鶏+豚のスープに醤油×黄金の油という魔術的なマッチング、そして食のレジャー化に沿ったカスタム性がある。トラック野郎から転身した緻密なイノベーターの辣腕に迫った。
家系ラーメン。あなたの街にも、一軒はこのラーメン店があるかもしれない。その名の通り、店名に「家」が付くことから、このカテゴリー名が称される。ヒストリーを紐解き、味の構造を腑分けする前に--まずは「○○家(や)」の暖簾をくぐり、ラーメンを頼んでみよう。
家系といえば、オーダー時に「お好み」を聞かれるのが通例だ。麺は「硬め・普通・やわらかめ」、味は「濃いめ・普通・薄め」、脂は「多め・普通・少なめ」から自由にセレクトできる仕組み。そう、家系は麺の茹で時間、醤油だれの量、表面を覆う鶏油(ちーゆ)の量を自由に選べるカスタム性が特徴なのだ。
好みのラーメンにカスタムできる。そんな要素はアトラクション的な面白さを伴い、80年代グルメブーム前夜の消費者に刺さった。フックは丼の中だけにとどまらない。卓上調味料による「味変」も楽しさを増す要素だ。卓上に視野を広げたら、ズラリと並ぶ調味料群が目に入るだろう。家系の後乗せ調味料は豆板醤・生姜・ニンニクという基本に、店によっては行者ニンニクやおろし&刻みショウガ、酢、ゴマ、ニンニクチップなどバラエティ豊富。これらを自由に加えて楽しむ「味変」も大いなるアトラクションなのである。
このラーメン・アトラクションは、1970年の大阪万博から始まる「食のレジャー化」に連なるものだろう。万博では77か国と4つの国際機関、州、年、民間企業などが合計116のパビリオンで先端技術を披露。そのうち、レストランやスナックは35。ソ連館ではピロシキとボルシチが、ブルガリア館では本場のヨーグルトが日本人の舌を魅了した。中でもエチオピア館、コロンビア館で提供されたドリップコーヒー、アメリカ館に投入されたケンタッキー・フライドチキンの実験店舗、そして日本企業が出店した「回転寿司」は大きなインパクトを与える。
「1億総グルメ」と言われるグルメブームが80年代に到来する10年前、外食シーンではレジャー化、娯楽化の萌芽があった。家系のカスタムシステムも時代の空気にも乗り、70年代~80年代の消費者に支持されていく。
外食シーンでは、アメリカから襲来した『サーティーワンアイスクリーム』も見逃せないだろう。こちらも吉村家と同じ1974年のオープンだ。バニラ、チョコ、ストロベリーといった基本味しかなかった日本アイスに殴り込みをかけた、31種の味わい。マーブルやチョコチップ、ナッツやマシュマロなどのフレーバーを自由に選び、二段重ねのダブル、三段重ねのトリプルでカラフルに仕上げていく。レジャー化、ファッション化する食は、街のあちこちに広がりつつあった。