法制審の審議について不安に思う理由
前回のコラムで、家族法改正に関する法制審議会について私の懸念をお伝えしましたところ、予想以上の反響がありました。同時に、別居親代表の委員の方からは、「上野さんが懸念なさっているような監視付き面会交流を原則とする状況には決してならないように、われわれの要望を全力で伝えていきますから安心してください」とおっしゃっていただき、ホッとした部分もありました。
とはいえ、別居親の代表の方は36人の委員等の中の1人にすぎません。法制審の審議が今後どのような方向に向かうのか、まだまだ予断は許さないと思っています。
疑い深いやつだなぁ、とお思いになるかもしれません。立派な肩書の偉い人たちが一生懸命議論をしているのだから、静かにそれを見守っていればいいじゃないかと思う方もいらっしゃるでしょう。けれど、私が不安に思うのにはそれなりの理由があるのです。今回、このコラムに取り上げるのは、非常に本質的な制度上の問題です。何だと思います? 今回取り上げるのは、「判検交流」です。
判検交流がもたらすリスク
判検交流という言葉を聞いたことあるという人はあまりいないのではないでしょうか。かなりマイナーな言葉ですよね。多くの人は、その実態を知らないと思います。判検交流とは、裁判所と検察庁の人事交流制度のことです。つまり、裁判官がある一定期間検察官になったり、検察官がある一定期間裁判官になったりするのです。検察官は、法務省の人間ですから、裁判官が一時的に法務省の官僚として法務省に出向するということになります。
こうした制度、海外にはないと思います。少なくとも私は聞いたことがありません。おそらく日本独特の制度だと思います。
実は、今回の家族法改正に関する法制審議会においても、この判検交流により法務省に出向している裁判官が2名、委員等として参加しているんです。法務省に出向していない現役の裁判官も2名参加しているので、法制審には合計で4名の裁判官が参加していることになります。36人のうちの4人です。
ふーん。で? 何が悪いの? そんな疑問を抱かれる方も多いかもしれません。しかし考えてみてください。今回の法制審議会は「家族法改正」がテーマなんです。
なぜ家族法が改正されようとしているのでしょう? なぜ今、家族法改正が必要なのでしょう? それは、家庭裁判所の運用に問題があることと無関係ではありません。というか、関係大ありです。これまでこのコラムでも取り上げてきたとおり、家庭裁判所の現在の運用実態は、多くの当事者から支持を得られていません。
むしろ、多くの当事者は不満を募らせています。当事者の多くの人は、家庭裁判所の運用が、現在の離婚の実態、親子関係の実態とマッチしていないと感じています。あまりにも時代遅れだと感じています。それどころか、家庭裁判所が公然と人権侵害をし続けていると感じている人も実は相当数いるのです。
そうした社会的背景の下、今回、家族法改正の審議となっているのです。そして、その改正審議を取り仕切る人に、裁判官がいる。しかも4人も。これって、違和感ありませんか? タバコを規制する法律を作る場に、タバコ業者の人を入れるようなものです。フツーに考えて、無理ありませんか? この人たち、自分を守ろうとしやしないかと不安になりません? 今まで自分がやってきた判断を真正面から否定し、自らを非難するような法改正に本当に取り組むの? 私が法制審に不安を抱く理由、分かっていただけました? 皆さんも不安になりませんか?