家庭裁判所の機能不全
ここ最近、養育費にまつわる議論が活発に行われています。政府の男女共同参画推進本部というところが、「子どものための養育費の取決めの確保に関する法律案」というものを審議し、今後、法律化していこうと考えているそうです。その内容は概ね、養育費をきちんと徴収するための法律的な手立てを整備しようというものです。養育費を不当に払わない人物に対してきちんとその養育の義務を果たすべくお金を徴収するという考え自体に、私は反対しません。しかし、家庭裁判所の現場を嫌というほど目の当たりにしている私にとっては今のこの動き、すごく違和感を覚えるのです。その違和感の正体について、今回お話をしようと思います。
離婚について話がまとまらない場合、家庭裁判所がその調整を行います。ところでこの家庭裁判所、現状、適切に機能しているとは、とてもではないですが言えない状況にあります。特に幼い子供がいるケースの離婚ではその機能不全ぶりは顕著です。
日本では昨今、夫婦の別居離婚に伴う親子の離別が問題視され、メディアなどでもしばしば取り上げられています。夫婦の別れが親子の別れになるという日本の現状。これは海外では考えられないことです。なぜ、このようなことが起きてしまうのでしょうか。そこには、「継続性の原則」と呼ばれる家庭裁判所の運用の問題があります。
「継続性の原則」とは、子供の親権者・監護権者を決定するにあたり、子供が今いる家庭環境を重視する原則を言います。つまり、先に子供を連れて家を出て行った者が親権者となることを約束されるのです。この原則がある限り、子供を連れて行った親が、連れて行かれた親よりも圧倒的に優越的立場に立つことになり、面会交流をする、しないも、この親次第ということになるのです。
この日本の現状について、欧米先進国をはじめ各国から激しい非難が浴びせられていることは、前回までのコラムでもお話しした通りです。欧米先進国は、この日本の現状を子供の人権侵害とみています。
いずれにせよ、養育費を語る上でこの親権監護権及び面会交流の悲劇的現状を無視するわけにはいきません。「養育費と面会交流は別の話だ」と言う人もいます。しかし、それは明らかに間違った考えです。養育費と面会交流は車の両輪のようなもので、片一方だけが機能していたのではまっすぐに進みません。両方が十分に機能して初めて子供の福祉を実現できるのです。