この連載でぼくが外国について批判的にどの程度書いたか覚えていないが(何せ、今回で371回目のコラムだし)、そう厳しい表現をしていないように思う。どちらかといえば、日本文化を批判的に描いた方が多いはずだが、それも最近はあまり書かないようにしている。
誰が違う文化をどう解釈したかという話は積極的に書きたい。まったく当たり前だと思っている現象や考え方が、違った文化の人からみると意外な捉え方がされる。良い悪いはさておき、そういう多彩な解釈の例を書こうとは努めてきた。
それでも、多分、ある一定の割合の人たちは、ぼくの指摘することを「出羽守だ」とみるだろうことを覚悟している。こういうのは、そう見られないことに気を使い過ぎると、なおさらドツボに嵌る。「いや、ぼくはそういう意味で言ってるのじゃない!」と弁解すればするほど、ろくなことはない。誤解されるなら、それはそれで仕方がない。
さて、冒頭に紹介した米国人の本、なんとイタリア人に説明しようか。
「米国人が英語で外に向けて日本文化批判していると分かれば、日本の人も問題を直視するのでは?との思惑で書いたのでは?」とでも言えば良いのだろうか。日本の人は外圧に弱いと自覚していて、それを有効利用する人たちは多いから。
いや、それではありきたりな解釈に過ぎるかもしれない。もう少し考えてみよう。
【ローカリゼーションマップ】はイタリア在住歴の長い安西洋之さんが提唱するローカリゼーションマップについて考察する連載コラムです。更新は原則金曜日(第2週は更新なし)。アーカイブはこちら。安西さんはSankeiBizで別のコラム【ミラノの創作系男子たち】も連載中です。