■約200億円の損害賠償を求める訴訟に発展
日本製鉄が特許侵害でトヨタ自動車を訴えた。日本を代表する2社が角を突き付けあう状況に、自動車業界や鉄鋼業界の幹部は驚きを隠さない。
日鉄が問題にしたのはハイブリッド車(HV)など電動車の性能を左右する「無方向性電磁鋼板」と呼ばれる高性能鋼材だ。モーターの回転効率を左右するため、日鉄にとっての「虎の子」の技術だ。
日鉄は2021年10月14日、電磁鋼板の特許権を侵害されたとして、トヨタ自動車と中国の鉄鋼大手・宝山鋼鉄を相手取り、それぞれに対して約200億円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こした。
日鉄は、宝山鋼鉄が複数のトヨタ車からモーターを取り出し、電磁鋼板を分析することで、特許権を侵害する電磁鋼板をトヨタに供給したとしている。
さらにトヨタに対しては、対象となる電磁鋼板を利用したHVなどの国内での製造・販売差し止めの仮処分を申し立てた。
■かつて両社は「盟友」関係にあったのだが…
かつて両社は「盟友」関係にあった。トヨタの海外進出に合わせて日鉄も海外の拠点を整備。錆びず塗装もおちない日本車の高品質を支え、同社の海外での販売拡大を支えた。環境問題への関心が高まると車両の軽量化につながる技術開発を共同で手掛けたり、円高やリーマン・ショックなどで業績が悪化した際には取り扱う鋼材の種類を削減することで原価低減を推進。まさに「鉄の結束」で支えあっていた。
しかし、ここ数年で「鉄の結束」が揺らぎ始めている。その端緒となったのが2年ほど前に起こった「特殊鋼」を巡る価格改定問題だ。
特殊鋼とは、車輪やステアリングに使われるベアリング、エンジン部品、サスペンションなどに使われるバネなど、特殊な加工を施した鋼材だ。
これまで自動車に使う鋼材価格は、トヨタなど自動車メーカーがグループ会社の分なども含めて一括して購入する「集中購買」の際に決まる「集購価格」が基準となってきた。集購価格は「大量に買うのでそれ相応の値引きをしてくれ」という自動車メーカーの要望に、鉄鋼メーカーも品質を確保しつつ優先的に安定供給を担うという互恵的な形で1970年代から採用されてきた。なかでもトヨタと日鉄の両社による価格交渉は「チャンピオン交渉」と呼ばれ、他社などもその動向を参考にしながら、主要鋼材の価格交渉をする際のベンチマークとなってきた。
ほぼ同じ品質の鋼板と違い、様々な部品に用いられる特殊鋼は集中購買に向かないため、部材・部品メーカーは日鉄から時価で特殊鋼を購入する。これまで特殊鋼の価格は、長年の取引慣行で「集購価格」を参考に決められていた。集購価格と特殊鋼の価格はほぼ連動していたが、ここ数年はコスト削減を急ぐトヨタの意向で集購価格は据え置かれた一方で、特殊鋼の価格は原材料の値上がりや需給の逼迫(ひっぱく)で高騰した。
■日鉄は「5年間で1万人規模」という経営合理化を進行中
日鉄から特殊鋼を買って部品を製造するメーカーにしてみれば「高い材料を買ってバネを作ったのに、トヨタに納める価格が据え置かれたり、値下げを求められたりしたら採算が取れず、経営はなりたたなくなる」と各所から悲鳴が上がった。
「鉄には鉄のサプライチェーンがある。このままでは特殊鋼を使った部品の安定供給もままならなくなる」。当時の営業担当の副社長など日鉄の幹部たちはさまざまなメディアのインタビューなどを通じて、集購価格の引き上げや特殊鋼を使った部材・部品の納入価格の引き上げなどをトヨタに申し入れた。普段は鋼材交渉については口をつぐむ日鉄だが、大口取引先のトヨタに対して声をあげたことは波紋を広げた。
特許侵害を巡る日鉄のトヨタへの提訴は、そうした行き違いの帰結ともいえる。ある自動車メーカーの幹部は「脱炭素への対応を巡って、資金確保のために両社とも一歩も引けない泥沼の戦いになる可能性がある」という見解を示す。
鉄鋼業界は産業別の二酸化炭素排出量が多く、「脱炭素」では常にやり玉にあがる。その最大手企業である日鉄にとって、脱炭素への取り組みは大きな経営課題だ。
日鉄は21年3月期まで2期連続で最終赤字となり、構造改革のために5年間で1万人規模という経営合理化を進めている。今期は新型コロナウイルスの収束に伴う鉄鋼需要の高まりなどもあって最高益を更新する見通しだが、それでも25年度までの中長期経営計画の期間中に製鉄所閉鎖や高炉休止などで製造生産能力を2割減らすことを盛り込んでいる。
■電動化分野で覇権を取るには、宝山を止める必要がある
リストラを進めながら、脱炭素への投資をしなければならない。切り札とされる水素製鉄などの実現には、設備投資に日鉄1社だけで4兆~5兆円かかる見通しだ。こうしたなかで、政府主導による再編で巨大化する中国勢に対抗するには、独自の技術を守り収益を確保しながら、脱炭素への投資資金を捻出する必要がある。日鉄の虎の子技術を使って取引先を広げる世界最大手の宝山が相手とあらば、日鉄も黙ってはいられない。