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世界で称賛を浴びるジャパニーズウイスキー 知られざる発祥の地

 今や世界5大ウイスキーのひとつに数えられるジャパニーズウイスキー。その源流となった摂津酒造の功績をたたえようと、大阪のバーテンダーらによって大阪市住吉区の同社跡地に石碑が建てられた。国産ウイスキーの誕生から約90年。日本が培った匠の技は一流のウイスキーを生み出し、世界から称賛を浴びている。日本でウイスキーを開発しようとした摂津酒造の精神は現代の日本の職人らに受け継がれ、その顕彰も進む。(北村博子)

跡地に石碑、顕彰進む

 石碑が置かれたのはかつて摂津酒造の蒸留塔があったとされる「神ノ木公園」内の一角。周囲は住宅地に変わり、石碑の正面のマウンドのように盛り上がった取水井戸の跡だけが、当時のなごりを残す。

 大正7年、当時、国内三大アルコール業者に数えられていた摂津酒造は本格的なウイスキー開発に乗り出そうと、竹鶴政孝をスコットランドに送り出した。

 「留学が珍しかった時代。摂津酒造が竹鶴さんを海外に送り出してくれたからこそ、ジャパニーズウイスキーの今がある」。石碑建立に尽力した「マッサンと国産ウイスキー100年委員会」の発起人で、「BARピーコート」を夫婦で営む森田規代子さん(49)は話す。

 森田さんたちは、摂津酒造のあった場所を、国産ウイスキーの発展をもたらした歴史的・文化的価値のある場所として認めてもらおうと、平成26年に活動を開始。28年には市の顕彰史跡「摂津酒造跡」として認定を受けた。今回設置した石碑には工場の全景図や同社と国産ウイスキーの関わりを刻んだ。

世界5大ウイスキーに

 竹鶴が国産初のウイスキーを世に送り出した大阪府島本町のサントリー蒸溜所や、竹鶴が築いた北海道余市町のニッカウヰスキー蒸溜所の設立で、国産ウイスキーの歴史は幕開けした。ただ、国内消費量は昭和58年を頂点に、酒税法改正による値上げなどの影響で平成19年にはピーク時の20%にまで落ち込むなど、決して国民に長く愛されてきた酒とはいえない。それでも日本のメーカーは良質なウイスキー作りを目指し、世界的なコンテストに挑戦し続けていた。

 成果が現れ始めたのは平成13年以降。「響」や「山崎」「竹鶴」「フロム・ザ・バレル」などのプレミアムウイスキーが毎年のように最高賞や金賞に輝き、世界の見る目が変わった。今やその地位はスコットランドの「スコッチ」、アイルランドの「アイリッシュ」、アメリカの「アメリカン」、カナダの「カナディアン」と並ぶ、世界5大ウイスキーの一つに数えられなど高く評価されている。

 日本のウイスキーの大きな特徴には、そのブレンド方法が挙げられる。ブレンデッドウイスキーの銘柄「角瓶」や「オールド」などを持つサントリーの広報は「スコットランドはメーカーが約140社もあり、互いに原酒を交換したり売買したりしてブレンドするが、日本ではメーカー各社が様々な原酒を作り分けて、自社でブレンドしている」と説明する。その特徴あるブレンド方法が、繊細な味わいを持ち、東洋的な香りが「白檀」などと比喩されるジャパニーズウイスキーを生み出すという。

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