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ジョブズがアップルに復帰したとき、真っ先に切り捨てたもの

 広告代理店もベンダーも対等なメンバー

 スティーブ復帰に合わせてアップルの広告は、天才クリエイターでスティーブの友人であったリー・クロウ率いるシャイアット・デイが担当することになりました。シャイアット・デイは1984年にMacintoshが登場したときに、スーパーボウルで放映された伝説のテレビCM「1984」を制作した広告代理店。スティーブの復帰に合わせてかつての黄金コンビが復活したのです。

 当時、私が一番驚いたのは、広告代理店の社内での位置付けです。通常、企業が広告代理店と仕事をするとき、そこにはある意味で主従関係があります。しかし、新体制においてリー・クロウはブレーン役としてスティーブを支えることになり、私たちアップル社員も彼を「ブランドの参謀」として尊敬していました。そしてアップル社員と広告代理店のメンバーは、対等なWWマーコムのメンバーとして一枚岩になって協働しました。

 主従関係をなくしたのは広告代理店だけではありません。PRエージェンシーやプロモーション用のコラテラルを制作するベンダーのメンバーも同様です。皆がビジョンと理念を共有し、それぞれの専門性と才能を発揮して戦略を実行する仲間でしたから、アップル社員・ベンダーの隔たりなしでメンバーが侃々諤々(かんかんがくがく)の議論をする光景は日常茶飯事でした。

 長年マーケティングに携わってきた私にとってそれは新鮮な体験でしたが、強烈なビジョンを持つリーダーと、できる限りフラットな実行部隊がいたことが、Think differentキャンペーンの成功要因の1つであると思っています。

 販売チャネルのリエンジニアリングを断行

 アップルが倒産寸前に追い込まれた原因は非常に複合的ですが、決定的な打撃を与えたのはコンシューマビジネスの失敗でした。パーソナルコンピュータ市場は成長期を脱していたにもかかわらず、ビジネスモデルとチャネル構造が一切変わっていなかったのです。

 販売チャネルとサプライチェーンの抜本的なリエンジニアリングは至上命題でした。初代iMacの発表後、日本でも販売チャネルのリエンジニアリングが実施されました。1990年代半ばの日本市場では、アップル製品を扱う販売店は3700店を超え、それを束ねる1次店が40社もありましたが、販売チャネルを整理。ディストリビュータを4社に絞り、新規チャネルを構築して100のiMac販売店とあらたな契約を結び、各店舗へアップルから直接製品を配送するモデルに切り替えたのです。

 売上ダウンも覚悟の上で販売チャネルを変更

 改革にあたっては、当然のことながら従来の販売店側から大きな抵抗がありました。「iMacが扱えないなら、アップル製品は売らない」というものです。パラダイム転換の先に「安定」というパラダイスは保証されません。修羅場はディスラプションのサブセットです。

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