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テレビ映像の証拠採用、なぜNG…メディア側の主張とは
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傍聴券を求め東京地裁周辺に行列ができた平田信被告の裁判=16日、東京都千代田区(三尾郁恵撮影) 東京地裁で審理中のオウム真理教元幹部、平田信被告(48)の裁判員裁判で、弁護側がNHKの番組を証拠として無断提出し、採用されたことにNHKが反発している。テレビ局側は過去にも同様のケースで「取材・報道の自由が確保されなくなる」と抗議してきたが、こうした主張には「メディア側以外の一般の人には分かりにくい」との指摘もある。テレビ映像の「公共性」をどう考えればいいのだろうか。(三品貴志)
弁護側の説明によると、証拠採用されたのは、神秘的なものに引かれる若者たちについてまとめた約10分のリポートで、昭和63年に放送された。平田被告らが共同で出家生活を送る様子が映っており、別の信者らがインタビューに答える場面もあった。
「取材協力者は番組が裁判で使われるとは思っていない。放送以外の目的で使用されれば、取材協力者の信頼を損ないかねない」
NHKの石田研一放送総局長は22日の定例会見でそう述べ、番組を事実認定に利用しないよう求める文書を地裁に送り、弁護側にも文書で申し入れたことを明らかにした。
テレビ番組やニュース映像は、過去の裁判でもたびたび証拠採用されている。NHKも加盟する日本新聞協会は平成15年、「取材・報道の自由に重大な制約を招き、国民の知る権利を脅かすことにつながる」との見解を公表。民放連も愛知県長久手町で19年に起きた立てこもり事件の公判で、民放局の映像が証拠採用されたことに抗議するなど、繰り返し反発している。
なお、日本新聞協会によると、新聞の場合は昭和51年に神戸市で起きた暴走族らの暴動で神戸新聞社カメラマンが死亡したことを受け、同紙に掲載された群衆の写真が証拠採用されたケースがある。ただ、協会の担当者は「ほかには聞いたことがない。活字と映像の性質の違いも影響しているのではないか」としている。
メディア側の主張を総合すると、(1)テレビの映像は放送、報道目的で撮影されている(2)捜査や裁判に利用されれば協力者の不利益になりかねず、今後の取材に応じてもらえなくなる恐れが生じる(3)ひいては公権力から自立した報道機関としての使命を達成できなくなる-ということになる。
上智大の田島泰彦教授(メディア論)は、こうした主張について「基本的には同意するが、一般の人々には理解しにくいロジックかもしれない」と話す。
最高裁は昭和43年に学生と機動隊とが衝突した「博多駅事件」に絡み、テレビ映像の証拠採用について「条件付きで認められる」とする判断を示している。最高裁は報道の自由を尊重しつつ、「取材の自由も公正な裁判実現のためには制約を受ける」として、犯罪の性質や映像の証拠価値などと報道の自由に与える影響を総合して決めるべきだとしている。
宗教被害に詳しい紀藤正樹弁護士は「検察など権力側の利用はともかく、今回のように弁護側の証拠申請は問題ないのではないか。すでに公になった映像の活用を制限すれば、民間側の手足を縛ることになり、メディアの信頼低下にもつながる」と指摘する。
田島教授はメディア側の主張について「特に刑事裁判での報道利用が常態化し、強制力を持った捜査を補完する性質が強まれば、報道機関は公権力の『下請け』になってしまう。権力のチェックが報道機関の本来の役割で、その力関係が揺らぎかねないことが問題だ」と解説。一方、「『メディアはそれほど権力を監視しているのか』という批判もあり、メディア側は国民の意見に耳を傾けるべきだろう」とも指摘する。
「流しっぱなし」だった時代とは異なり、録画機器やインターネットの普及でテレビ番組の「記録性」は高まっており、メディア環境の変化はテレビの役割自体も変えつつある。田島教授は「メディア側は従来の主張を単に繰り返すだけでなく、時代にあったテレビの公共性を国民とともに探り、納得してもらえるような説明を重ねることも必要だ」と話している。