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西川善文氏死去 銀行再編を主導、郵政改革は道半ば

 11日に死去した元三井住友銀行頭取の西川善文氏は、バブル経済崩壊に伴う不良債権問題で苦境にあった同行の再建を果たし、大手銀行の再編を主導した。そのリーダーシップを小泉純一郎首相(当時)に買われ、日本郵政の初代社長に就任する。しかし、郵政民営化に後ろ向きな民主党政権が誕生すると政府・与党と対立し辞任。郵政改革は道半ばで表舞台を退いた。

 西川氏が58歳の若さで住友銀行(現三井住友銀行)の頭取に就いたのは、平成9年6月。その年は、三洋証券や北海道拓殖銀行、山一証券の破綻が相次ぐなど、金融業界は激震に見舞われていた。

 西川氏は従来のエリート銀行員にあるような華々しい営業実績を積むというよりも、大型破綻処理などで頭角を現した。そうした主導力が金融再編を控えた激動の時代に合った。西川氏も自身の著書の中で「世が平時だったら、私の頭取就任など絶対にありえなかった」と振り返っている。

 頭取就任後もリーダーシップを発揮。11年8月に第一勧業、富士、日本興業の3行(現みずほフィナンシャルグループ)の統合が発表されると、旧財閥の枠を超え、三井系であるさくら銀行との合併を決断する。わずか2カ月後の10月には合併を発表した。

 13年4月の三井住友銀行発足後も、旧UFJグループに経営統合を打診。提携関係にあった大和証券との統合も水面下で模索した。どちらも実現はしなかったものの、西川氏の動きが金融再編を後押しした。

 17年6月に三井住友フィナンシャルグループの社長と銀行頭取を退任するが、その手腕を買われ、民営化前の18年1月に日本郵政の社長に就任。郵政民営化に向けて尽力した。

 しかし、21年9月に民主党政権が誕生し、郵政民営化の見直しを決定。結局、西川氏も郵政改革を果たせぬまま、政府に迫られる形で同年10月に辞任した。当時、国会で批判されたことを振り返り、著書の中で「郵政民営化の道が絶たれたときにこそ、真の危機が国民を襲う」と、無念さをにじませている。

(大柳聡庸)

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