「北朝鮮が憎くてならない」
東京・永田町の議員会館で9日行われた、北朝鮮に拉致された横田めぐみさん(55)=拉致当時(13)=の父で5日に87歳で亡くなった拉致被害者家族会初代代表の横田滋さんの遺族による記者会見。妻の早紀江さん(84)、滋さんの双子の息子、拓也さん(51)と哲也さん(51)が出席し、思いを語った。記者会見の主なやりとりは次の通り。
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早紀江さん 皆さま、こんにちは。この度、主人の滋がだんだん衰弱いたしまして、5日に永眠しました。長い闘病生活でしたけれども、本当にいつも穏やかで苦しいとか痛いとか何もそういうことずっと言わないで、いつも笑顔で生きていましたけど、段々衰弱して息を引き取りました。
拉致されている人たちのことをいつも思って、私たち本当に二人三脚で本当に頑張ってきましたけども、やっぱり段々年をとって、互いに体のいろんなところに不具合が出てきております。私もそうですけども、たくさんの親御さんたちがもうとっくにいらっしゃらなくなったり、まだこれからも衰弱されていかれるんじゃないかと、いつも心配しております。
どうしてもなかなか(北朝鮮の)国柄が国柄なので、本当に難しい問題だなとつくづく思わされております。(報道各社に対し)長い間、いつも報道していただいて、めぐみたちを助けるために、献身的に私たち全員のことを被害者のことを家族のことを報道し続けていただいた長い年月に対して、心から感謝いたしております。
滋も皆さま(報道各社)と仲良くさせていただいて、いつも穏やかに暮らすことができたこと、たくさんのこちらの先生方や救う会の指導力も素晴らしかったし、何も思い残すことがないほど全身全霊打ち込んで、頑張ったと思っています。本当に安らかに、静かないい顔で天国に引き上げられましたことを私は良かったなと思っています。これまで長いご支援いただきましたこと、感謝申し上げます。ありがとうございました。
拓也さん 私の姉はもう承知の通り、1977年に拉致をされて。両親は当時、何の手がかりもない中で、25年間、姉のめぐみを探し続けました。しかしながら何の安否の情報を得ることなく、苦しい中を走り続けてきた25年間でした。
そして、2002年の日朝首脳会談があってから初めて姉の行方が北朝鮮にいるということがわかり、そして犯罪を北朝鮮が犯したということを、われわれ、国際社会、日本の国民、世論が知ることになり、北朝鮮っていう具体例が出てきたことによって、早期にこの問題が解決するんではないかという淡い期待を持ったのも事実です。
そして両親は、その淡い期待を現実のものにするために18年間、戦い続けてきたわけですが、残念ながら父、滋は他界してしまいました。父は、めぐみの写真を撮ることがとても大好きでしたから、報道でもその過去の写真を使っていただくことが多いわけですが、本当によく言われるように、目の中に入れても痛くない、それほどかわいがっていた姉とですね、どれだけ会いたかっただろうと思うと、本当に悔しくて悔しくて仕方がありません。
そして2002年の日朝首脳会談後に父が泣いていた姿を見て、そして今回、父が他界したことを受けて、私個人は本当に北朝鮮が憎くてなりません。許すことができない。どうしてこれほどひどい人権侵害を平気で行い続けることができるのかと不思議でなりません。国際社会がもっと北朝鮮に強い制裁を科して、この問題解決を図ることを期待したいと思います。
そして、私たち横田家、両親をですね、本当にずっと長い間そばにいて、支援してくださった安倍(晋三)総理、本当に無念だとおっしゃっていただいてます。私たちはこれからも安倍総理とともに、この問題解決を図っていきたいと思っております。