フィリピン南部ミンダナオ島ダバオにある大学が、日本とフィリピンの懸け橋になっている。地元日系人会が運営し、特色は日本語教育。明治以来、日本人が多く移住した土地だが、戦争で絆を失いかけた。今、教育という形で両国の友好関係を草の根で紡いでいる。
2002年に開校したミンダナオ国際大学(学生数約300人)。1、2年次に日本語が全員必修で、17年までに卒業した600人強の多くは、日系企業や日本語教師など日本を軸とした進路で活躍している。
「最近は日本のアニメや漫画が好きという理由で入学する学生が多いですね」。流暢(りゅうちょう)な日本語を話すイネス・マリャリ学長は、鹿児島市出身の祖父を持つ日系3世。今でこそフィリピン日系人会連合会の会長も務めるが、小学生の頃は日系人であることを隠していたという。
理由は戦争だ。明治末期から日本人は仕事を求め海を渡り、1930年代にはダバオに約2万人が居留していた。多くがマニラ麻の栽培で生計を立て、「リトル東京」と呼ばれる地区もあった。
しかし、戦争が起きると生活は一変。日本の敗戦後、反日感情から日系人は差別され、財産を没収された。日本人移民が築き上げてきたフィリピン人との共存の歴史は消え去りかけたが、日系人たちは逆風の中でも地域に溶け込もうと努力し、融和は着実に進んだ。
80年にフィリピン残留日系人の支援を主な事業とする日系人会が設立された。そのころに2世や3世が始めた日本語教室が大学の前身になった。
学生たちは受け身で日本語や専門科目を学ぶだけではない。平日夜、地元向けに日本を紹介するラジオ番組を編集・放送したり、提携先の日本の大学とネットで結んで日本の学生に英語レッスンをしたりしている。
国際学科長の井上直之さんは「学生は持ち前の陽気さと社交性で、楽しいことはすぐに覚えてくれる」と話す。
フィリピンでの日本語教育をリードし存在感を示してきたが、教員の確保や施設拡充など課題もある。マリャリ学長は「授業料だけで賄っているので財政的余裕がない」と明かし、他大学と連携しマニラ分校の開設を検討するなど改革を検討する。
「『悲しい歴史があった』で終わりでは日系人としては寂しい。両国の未来に有意義な人材を育てていきたい」と意欲を燃やしている。
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【用語解説】ミンダナオ国際大学
東京都調布市の民間非営利団体「日本フィリピンボランティア協会」の支援を受けて開設された四年制大学。日本語を重点的に学ぶ国際学科や介護を学ぶ社会福祉学科など6学科がある。日本語は日本人教員5人、フィリピン人教員6人が教える。昨年1月にはフィリピン訪問中の安倍晋三首相が立ち寄り、日本語の授業を見学した。(ダバオ 共同)