■「法・理・情」のノウハウ学べ
中国が毛沢東時代に疲弊しきった経済を立て直す「改革・開放」路線にかじを切って、今年で40年が経過する。現実主義のトウ小平が主導した政策で、この国は短期間に世界第2の経済大国になった。数多くの要因があるが、日本企業の対中進出がもたらした雇用創出や製造業の勃興も大きな貢献を果たした。
日東電工のしくじり
日中経済協会のまとめによると、1979年から2016年までの累計で、工場建設や販売拠点の開設などのため、日本企業が中国に直接投資を行ったのは延べ5万292件。直接投資額は実行ベースで総額1043億9000万ドル(現在のレートで約11兆1000億円)にも上る。
ただ、ここ10年ほど日本の対中投資は減速傾向にある。さまざまな業種で対中進出ブームが去り、一服感が出た。「世界の工場」ともてはやされた中国で人件費が高騰、労使紛争が頻発したことも大きい。10年や12年の反日デモでは、日系企業の現地拠点で放火や略奪、破壊行為など甚大な被害も受けた。
日本企業が次なる生産拠点にベトナムやカンボジア、ミャンマーなどに活路を見いだすケースが増えたのは自然なことだ。
それを中国からの「撤退」と後ろ向きにとらえ、隠そうとするか、企業のグローバル戦略の中の「転進」と前向きにとらえるかは、経営者や投資家、従業員、合弁相手や取引先、地元住民やメディアなど、ステークホルダー(利害関係者)の立場によって異なる。ただ、日本企業のメンタリティーとしては撤退にせよ、転進にせよ、「立つ鳥跡を濁さず」が望ましい。
せっかく中国に多大な経済貢献をし、地元に溶け込んでいた優良な日本企業が、現地法人を合法的に他社に譲渡するにあたり、従業員から激しい反発を受け、それが地元メディアから批判的に取り上げられてしまっては、最後の最後にしくじったと言われても仕方があるまい。