ボロマンションが億ションに 崩壊しない中国の不動産バブルに“3大悪人”の影 (2/5ページ)

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 中国がWTO(世界貿易機関)に加盟した2001年を前後して、日本企業の対中進出ラッシュが顕著になった。日本企業が現地法人を立ち上げようと奮闘する中で、足元では沸々と不動産バブルの泡が成長し始めていた。当時、現地職員の最大の関心事と言えば、一も二もなく「住宅購入」だった。社内の不正に手を染めた現地社員を問いただすと、「住宅の頭金が欲しかった」という回答が返ってきたのもこの頃だった。

 その一方で、毎年、上昇する住宅価格に市民が焦り始めていた。物件の販売開始日には前日から行列ができる。しかしほどなくして「全部售(ふるとりに口)完了(完売御礼)」の札がかかってしまう。価格をつり上げるための露骨な売り惜しみも行われた。ちなみに、日本では戸建て購入という選択もあるが、中国で一般市民が望んでいるのは100平米(平方メートル)を標準とする集合住宅である。

 2000年代前半、北京には66頭の牛皮でできた壁紙を張り巡らせた、度肝を抜くような高級マンションが出現した。2000年代後半、上海にも世界一の平米単価をつける高級住宅「湯臣一品(タンシェンイーピン)」が出現した。こうしたバブリー物件が続々と登場する反面、「まじめに働いて預金をしても、マンションの一室も持てない」というのは、2000年代を上海で生きた市民に共通する嘆きだった。

 国営工場などで働く中国人は工場が提供する住宅に住んでいたが、平均面積9平米という粗末な家から脱出するべく、自力でマイホームを獲得しようと奮闘した。都市部で生活する外省出身者(外省とは自分が居住している省以外の省のことを指す)は上海に根を下ろすべく安住の家を求めた。2000年代にはインフレ懸念も高まった。こうして国民にとって住宅購入はすべてに優先する価値になって行った。

 しかし、その価格は庶民の購買力をはるかに上回るまで駆け上がってしまった。

出世、巨万の富、利益…互いの欲で動く関係者