弾道ミサイル発射や核実験を繰り返すなど北朝鮮の脅威は日増しに募っているが、核開発疑惑が強まった1994年に米国は核施設への「ピンポイント攻撃」を検討し、非公式に日本側に伝えていた。当時の羽田孜政権で危機管理にあたった熊谷弘元官房長官が産経新聞のインタビューに応じ、核保有の実現可能性を含め、あらゆる手段の検討を急いでいたことを明らかにした。(佐々木美恵)
--当時のクリントン米政権は北朝鮮への武力行使をどう伝えてきていたのか
「北朝鮮に対し『不動の決意をもって対処する』という意識だった。事態は大変だぞ、日本はちゃんとやれるのかとサジェスト(示唆)された。在外公館から上がる公電や各省など事務方からの報告を聞いても非常な緊張を感じた。特に外務省はものすごく強い危機感を持っていた」
--備えるべきだという米側のメッセージをどう解釈したのか
「米軍は北朝鮮が核開発疑惑のある施設に攻撃を加える。その後は当然、戦争状態になる。北朝鮮と米韓との戦争にとどまらず、日本に対しても攻撃や工作員による破壊工作が起こりうることが想定された。空騒ぎして国民の不安をかき立ててはいけないが、安全保障に責任を負う政府は違う。冷静に、早急に強力な態勢を作らなければいけなかった」