田中秀臣の超経済学

自民党総裁選 “根拠なき熱狂”に踊らされない見方と主要候補の経済政策

 自民党総裁選が熱い。その理由は簡単で、総裁は事実上、日本の首相総理大臣を決めることでもあるからだ。筆者は自民党の党員ではないので、総裁選自体は批評する観点から距離を置いてみている。しかしSNSなどで総裁選をめぐって発言すると、おそらく自民党党員でもないのに特定の候補者に「熱狂」している人たちに、「田中は××候補を推してる」と発言を適当に切り取られてしまう。ワイドショーの印象だけでモノゴトを判断する軽薄な人たちは多いが、ネットでも大差ない。筆者にとっては、特定の候補者を「推す」ことに意義はない。候補者たちの政策に関する発言を評価する方が重要である。

 ただこの種の「熱狂」は、マスコミも例外ではない。根拠のない「熱狂」がある。たとえば、日本経済新聞では菅義偉政権崩壊で、「新政権への期待」で株価が上昇と説明していた。そもそも誰が次の首相・総裁なのか不明なのに「新政権への期待」もないだろう。むしろ低迷していた菅政権への支持率がもたらしていた与党の「選挙大敗リスク」が後退したと市場関係者が考えたのかもしれない。実際に各種世論調査では、自民党の支持率は大きく改善した。他方で、立憲民主党など野党は支持を大きく減らしている。

 現状で、誰が次の自民党総裁になるのかはわからない。現時点(13日)での主要候補は、河野太郎規制改革担当相、岸田文雄前政調会長、高市早苗前総務相だ。これに石破茂元幹事長や野田聖子幹事長代行らが絡んでくるのかどうかは現段階では不透明である。

 世論調査では、河野氏の人気が高い。だが、世論調査の人気と実際の自民党党員、いわゆる地方票の支持とはまったく違う。後者については客観的なデータもないので、わからないとしかいえない。嘉悦大学の高橋洋一教授は独自の分析をして、各候補に有意な差はない、と指摘している。

 各候補の政策をめぐる発言にも注意が必要だ。まだ総裁選の公示や投票まで時間がある。自民党という「保守」のカラーの中で、各候補は自らの旧来の印象や主張を修正し、あるいは補強することも十分にある。有力候補の打ち出した政策が魅力的であれば、それを自らも主張し「論点潰し」に出るかもしれない。または他候補との違いを強調する戦略に出るかもしれない。あくまで自民党の総裁候補としてどう言っているかであって、国民との公約を提起しているといった類いのものではない。総裁選の過程でもまれ、さらに実際の政権を担う際にまた意見が変化してもおかしくはない。

 実際に、岸田氏は財務省的な緊縮政策のスタンスを否定する傾向が強く、また河野氏は過去の女系天皇容認の発言を修正し「保守」色をより強調している。高市氏は金融所得税の増税を打ち出していたが、批判が強まるやインフレ目標2%達成後に行うと意見を修正した。これらの各候補の意見修正・補強の動きが、今後も起きても不思議ではない。この点を踏まえて、各候補の主張を「熱狂」せずに見ることも重要だろう。

 主要三候補の経済政策に対するスタンスは、アベノミクスを基準にすると“現段階”では整理しやすい。アベノミクスは「大胆な金融緩和」「機動的な財政政策」「成長戦略」だった。大胆な金融緩和の核は、インフレ目標2%達成の導入とほぼ等しい。

 高市氏はアベノミクスの継承と、さらに財政政策の補強に照準を合わせている。現在の政府の公式見解であるプライマリーバランス黒字化の目標を一時凍結し、インフレ目標2%達成まで、積極的な財政政策を行うとしている。中長期的な社会インフラ整備にも積極的だ。インフレ目標の引き上げも検討しているという。

 岸田氏は、新自由主義や構造改革路線を批判し、低所得層への再分配政策を重視する保守リベラルの姿勢を打ち出している。さらにインフレ目標2%の金融緩和政策の維持、補正予算も30兆円前半の規模感を出して積極的だ。高市氏と異なり、財政の維持可能性を重視しているので、プライマリーバランスの黒字化目標の凍結などは言明していない。

 ただ高市氏も岸田氏も、ともに積極的な経済政策で、総需要不足(=経済全体の購買力の不足)を解消し、その結果で実現される経済成長によって財政状況を改善しようとする点では大差ない。つまりは両者ともにアベノミクスの修正ヴァージョンだ。

 対して、河野氏の方は、現段階では反アベノミクスというよりも「アベノミクス・スルー」だ。つまり具体的なマクロ経済政策が不在である。重点は自民党の改革や、また政府部門の効率化のような20年前の小泉構造改革路線の焼き直しのようである。インフレ目標2%については、経済成長の結果であり、コロナ禍では難しいと言明している。

 では、その経済成長をどのように実現するのか、河野氏の今のところの姿勢は不明だ。実際に補正予算の具体的な規模感を記者会見で聞かれても「勉強中」ということで明言を避けた。あくまでも仮にだが、経済成長を規制緩和や政府部門の効率化のような構造改革で実現しようとするならば、その政策は現在の日本に大きな経済的悪化をもたらすだろう。なぜならば、現在の日本経済は明白な総需要不足の状況にあるからだ(図参照)。

 「GDPギャップ」という経済用語がある。これは日本経済が労働や資本をフル回転させて実現できる経済の大きさ(=潜在GDP)と現実の経済の大きさ(現実GDP)の開きを示している。潜在GDPよりも現実のGDPが下回れば経済状況は悪い。人々のお金が不足することで経済の動きが鈍っているのだ。

 内閣府の2021年4~6月期の推定では、このGDPギャップはマイナス4.0%。消費増税を行った2019年第4四半期から継続して、7四半期連続のマイナスが続いている。総需要不足額は年換算で22兆円になる。つまり単純化すれば、この22兆円を「埋める」ために国民にお金を配る政策が必要だ。それを行うのがすでに述べた積極的な金融政策と財政政策の組み合わせである。

 経済の効率化をすすめて、リストラや中小企業を淘汰しても、それ自体は不況(総需要不足)をさらに加速し、失業と倒産を増加させるだけだ。したがって今のところ高市・岸田両氏のアベノミクス修正路線が正しい方向となる。

 だが、冒頭でも書いたが、あくまで総裁選は意見の修正・補強が“あり”な世界だ。河野氏は特に反アベノミクスを打ち出しているわけでもない。何も言っていないだけ(アベノミクス・スルー)なので、今後の発言が注目されるだろう。もちろんスルーしたままでは済まないのは、日本経済の状況を真剣に考えるならば自明のことである。

 経済政策だけでなく、各候補が安全保障や外交、国のかたちをどのように考えているのか、他の政党の主張とも比較しながら、適度な距離感を持ちながら総裁選をみていくべきだろう。

田中秀臣(たなか・ひでとみ) 上武大ビジネス情報学部教授、経済学者
昭和36年生まれ。早稲田大大学院経済学研究科博士後期課程単位取得退学。専門は日本経済思想史、日本経済論。主な著書に『経済論戦の読み方』(講談社現代新書)、『AKB48の経済学』(朝日新聞出版)など。近著に『脱GHQ史観の経済学』(PHP新書)。

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