専欄

本当に理解しているか疑問…肥大化する“中国人のメンツ”

 米アラスカ州で行われた米中外交トップ会談は、世界中の人々を驚かせた。「外交儀礼」という厚いベールは取り払われ、本音がぶつかり合う非難の応酬である。

 両国とも、カメラの前で自国民に向けてのアピールだったのだろうが、特に気になったのが「国としてのメンツ」を潰されたと考える中国庶民の反応である。

 中国に対峙(たいじ)する際、企業も個人も極力避けているのが「メンツを潰す」ことである。中国人とメンツの問題は、これまで幾度となく言及され、世界中の人々が承知している特性だが、彼らのメンツの度合いを本当に理解しているかというと、それは疑問である。

 中国語に「人有臉,樹有皮(人は顔が大事、樹木は皮が必要)」という言葉があり、ともに生存に欠かせないという意味だ。「吊死鬼擦粉,死要面子」というのもある。「死んだ後も顔は大切」ということか。何千年にもわたり、中国人のDNAに塗り込まれているかのような「メンツを重んじる」という考え方だが、21世紀の現在でも変わりはない。

 彼らのメンツは実にやっかいだ。仕事の場では、メンツを重んじるため支障が出ることもある。できないことを「できない」と言いたがらず、仕事が滞り、さらにもっと大きなメンツを失うことになっても上司の前で「できない」とは言いたくない。

 こうした風潮は近年、中国社会でも問題にされはじめ、メンツにこだわりすぎるのはやめようという議論も起きている。「仕事とメンツ、どちらが大事か改めて考えよう」「メンツのために意味のない競い合いはやめよう」「上司の前で実力以上のアピールはやめたほうがいい」「メンツを気にして、仕事上の失敗を隠してはいけない」…など、われわれにとっては当たり前のことが、改めて言及されているくらいだ。

 メンツを重要視しすぎて、個人の幸せを逃すこともある。代表例が結婚や職業選択だ。条件結婚が主流なので、恋愛よりメンツ重視だし、本来やりたい仕事も、メンツのために諦めるというケースも多い。

 「動物が好きだからペットショップの店員になりたかったが、親のメンツのために公務員になった」「山が好きだ。山林の管理人になって、毎日山の中を歩き回りたいが、メンツのために学校の先生を選んだ」-。公務員や学校の先生というのは、親が自慢できる「子供の職業」なのだそうだ。

 冒頭の米中首脳会談で、中国側のトップ、楊潔●(よう・けつち)氏の言う「米国は中国に偉そうに上から物を言う資格はない」という表現から、「大国・中国」のプライドが見て取れる。(ノンフィクション作家・青樹明子)

 肥大化する中国人のメンツを再考し、どう向き合うかも、われわれの大きな課題である。

●=簾の广を厂に、兼を虎に