孔子の言葉はもう古い? 日本も他人事ではない「中国の30歳」
三十而立、四十而不惑、五十而知天命-。あまりにも有名な孔子の言葉で、本家中国ではいうに及ばず、われわれ日本人にとっても人生の指針である。なかでも2020年、中国で「三十にして自立する」というフレーズが、特に注目を集めた。なぜなら、「90後」の一番手である1990年生まれが30歳を迎えたからである。(ノンフィクション作家・青樹明子)
中国の90年代生まれは、80年代生まれに続き、これまでの概念を覆す「新中国人」といっていい。史上まれにみる中国の経済発展を牽引(けんいん)してきた若者たちで、彼らの消費行動は、中国巨大市場の代名詞でもある。
「月光族」(給料を残さず使い切る人)と呼ばれ、給料のほとんどを趣味や娯楽、ファッションや美食に費やしていて、高い購買力のために国内外の企業から熱い視線を送られているのが、まさに彼ら90後である。
輝ける世代の若者たちだが、三十を迎えても「自立」とは程遠く、それどころか、等身大の30歳は悲惨としかいいようがない。ビジネス社会の激烈な競争に身を置き、一昔前なら夕食を食べ終えだんらんの時間である夜の7時も、会議の最中だ。しかも、「(カード使用による)負債が増大」していて、「(ストレスのためか)脱毛がひどく、見た目がまるで60年代生まれと変わらず、既に『中年の危機』領域に入っている」のだそうだ。ないのは頭髪だけではない。自立の最低条件である「車」「家」「結婚相手」全てがない。
女性もほぼ同じで、美しさを享受できる年齢であるにもかかわらず、目の周りはくまができ、生理は遅れがちで、家庭優先の幸福な結婚は予兆すら見えない。
なかでも貯金がないことが問題だ。理由はいくつかあるが、第1に生活のコストがとんでもなく上がっていて、貯金する余力がない。特に食費の値上がりが顕著で、3食を外食で済ますという若者たちにとり、食費の高騰は痛手である。第2に、「理財」つまり金銭管理の意識が低い。生活が苦しいといいつつ、日常的に購入するものはブランド品で、生活必需品よりも趣味に多くを費やしている。
これら世代的特徴に社会事情も付加される。不動産価格が年々高騰し、ローン返済には一生かかるため、お金をためて家を買おうという気力はうせる。また格差社会が進む中、他人と比較する心理状態が深刻化している。人よりいいものを持ちたいという競争意識が、ますます蓄財から遠ざかり、結果的にお金のない状態が続く。
経済が発展する時代において、誰もがお金持ちになりたいと願い、同時に機会も多いはずだ。国の勢いと反比例して、発展の中核に身を置く若者たちが自立もできない社会とは何なのか。これは日本にとっても、大きな課題である。