ビジネス解読

高級旅館をM&Aした写真館 中小事業主救うネット仲介

 新型コロナウイルスによる影響が顕在化してから1年余り。サービス業を中心にコロナ禍で事業モデルの転換が経営課題になっている。写真館運営の小野写真館(茨城県ひたちなか市)は令和2年10月、伊豆の高級温泉旅館をM&A(企業の合併・買収)で取得。写真館と高級温泉旅館。何も関連がないように見えるが、小野哲人社長は「感動体験を切り口に双方のシナジー(相乗)を生み出して、新たな需要を掘り起こす」と意欲的だ。

高級旅館「桐のかほり 咲楽」の部屋からは相模湾が一望できる。ベランダには露天風呂も用意されている=静岡県河津町(同社提供)
高級旅館「桐のかほり 咲楽」をまるごと貸し切って行われた披露宴=2月23日、静岡県河津町(小野写真館提供)

 小野写真館は昭和51年創業。2代目となる小野社長はブライダルや振り袖レンタルなどに進出。祖業の経営資源をもとに多角化展開を目指す「アトツギベンチャー」として、年商16億円規模にまで成長させた。

 ところが、新型コロナの世界的な流行が小野写真館の経営に大きな打撃を与える。令和2年春以降は結婚式の中止や延期が相次ぎ、同4~5月の売上高は前年同期比8割減にまで落ち込んだ。

 危機的な状況の中で小野写真館は攻めの一手を打つ。結婚式や成人式など、晴れの舞台には記念撮影が付き物。「同じように非日常の世界が体験できる場として、宿泊業にはコロナ前から関心があった」と話す小野社長。ビジョナル・インキュベーション(東京都渋谷区)の事業承継仲介サイト「ビズリーチ・サクシード」に、伊豆半島にある静岡県河津町の高級温泉旅館「桐のかほり 咲楽(さくら)」が売却案件として掲載されていたのに気付いた。

 この旅館は全4室で、各室のバルコニーにある露天風呂からは海が一望できる。部屋食のため、いわゆる「密」も避けられる。7月に現地を訪れた小野社長は「ウィズコロナのライフスタイルにぴったり」とすぐに気に入った。

 旅館のオーナーだった萩原良文さんは親族内承継を検討したものの実現が難しく、廃業も考えたが、「常連客から続けてほしいとの声を受けた」ことから、親族外承継に切り替えて買い手を探していた。

 買収をめぐっては小野写真館以外に大手企業2社が手を挙げていたが、「お客さまに感動を与えたい。写真技術やブライダル事業で培ったおもてなしを新たなビジネスに生かしたい」という小野社長の熱意に感銘を受けたことが決め手となった。

 新型コロナに関する2回目の緊急事態宣言が首都圏1都3県などに発令され、年明け以降宿泊予約のキャンセルも相次ぐ中、今年1月31日には旅館に併設した1日1組限定の写真館をオープン。旅館で働く4人のパート従業員の雇用を引き継ぎ、カメラマンや料理人を送り込んだ。

 2月23日には旅館を貸し切った結婚披露宴が開かれた。披露宴を挙げたのは茨城県在住の30代のカップル。新郎は滋賀県出身、新婦も茨城県出身で伊豆には特段のゆかりはなかった。新郎は「両家のちょうど真ん中で、ここなら家族を呼べる」、新婦も「コロナ禍の状況で式や披露宴が挙げられるとは思わなかった」とうれしそうに話した。

 新型コロナの流行で写真館も宿泊業も「不要不急のビジネス」との印象を持たれたがちだが、小野社長は「旅行などの非日常の体験へのニーズはあり、必ず人は戻ってくる」と話す。小野社長の新ビジネスへの挑戦は始まったばかりだ。

 民間調査会社の東京商工リサーチによると、令和2年に全国で休廃業や解散した企業は前年比14・6%増の4万9698件で、これまで最多だった平成30年(4万6724件)を抜き、12年の調査開始以降、最多となった。コロナ禍での政府や自治体、金融機関による資金繰り支援策が功を奏し、令和2年の企業倒産が2年ぶりに減少したのとは対照的だ。

 中小企業の廃業が増える原因の一つが後継者不在。中小企業庁の推計によると、7年に70歳を超える中小企業経営者は245万人に達するが、その約半数の127万人について後継者が決まっていないという。

 中小企業の事業承継はこれまで親族内承継がほとんどだったが、少子高齢化でそれすら難しく、小野写真館のようなM&Aなどによる親族外承継が増えている。

 M&A仲介サービスもあるが、企業価値の算定が難しい中小企業にとっては仲介手数料が割高になりがち。そこで注目されるのが、インターネットを活用したM&A仲介サービス。小野写真館の小野社長が利用したビジョナル・インキュベーションのほかにも、トランビ(東京都港区)やバトンズ(同千代田区)などがある。いずれもサイトへの情報の掲載は無料。成果報酬制で、成約後に一定の手数料を支払う。

 また各地の商工会議所などに設けられている「事業引継ぎ支援センター」は、国から委託を受ける形で中小企業経営者からの事業承継の相談に無料で応じている。

 中小企業庁の試算によると、このまま後継者難の問題に手を打たなければ、7年までの10年間累計(既に廃業した企業分も含む)で約650万人の雇用と約22兆円の国内総生産(GDP)が失われるという。

 東京や大阪などの大都市圏の商店街でも、後継者がいないことで閉店を余儀なくされ、シャッターを降ろしたままの店が目立つ。写真館に限らず、飲食や小売りなどの個人商店や町工場は地域の雇用やコミュニティーを支える重要なインフラ。そうしたインフラを守る上でも、中小企業の円滑な事業承継は重要だ。(松村信仁)