1ドル105円という「円高」に振れた背景
外国為替市場で円高傾向が続いている。8月初め109円台を付けたドル/円は12日に105円台まで急落した。その背景には、世界経済の後退懸念の高まりで、多くの投資家がリスクオフに動いていることがある。
米中貿易摩擦は世界経済に重大なマイナス要因だ。中国経済は既に成長の限界を迎えており、ドイツを中心にユーロ圏経済も落ち込んでいる。これまで安定感があった米国経済でさえ、先行き懸念の高まりから10年物国債と2年物国債の金利差が逆転した。
1990年以降、長短金利が逆転して約2年たつと、米国は景気後退局面に移行したことが知られている。米FRB(連邦準備理事会)をはじめとする主要国の中央銀行が、さらに金融緩和を重視するとの見方も増えている。
そうした状況下、金利の低い円で資金調達を行い、金利の高いドルなどで運用して金利差を確保しようとする“円キャリートレード”を急速に巻き戻す投機筋の動きが目立っている。ドルを売って、円を買い戻すためどうしても円高を加速しやすくなる。この結果、主要国通貨がドルに対して下落し、足元、円は独歩高の展開だ。
近年の日本経済を振り返ると、2011年11月以降にドル高・円安の進展に助けられる格好で徐々に景気は持ち直した。今後、米中経済の減速がさらに鮮明化し円高が進展すると、わが国経済には下押し圧力がかかる。日本銀行の金融緩和策が限界を迎えているだけに、政府の迅速な景気対策が必要になるだろう。
円を売ってドルを購入したほうが儲かる状況
短期的な為替レートの変化を考える際、最も重要な要素は金利だ。世界の投資資金は、金利の低い通貨から高い通貨へと流れる。それは、私たちの日常生活にも当てはまる。銀行に貯金をする際、わたしたちは金利が高い銀行にお金を預け、より多くの金利収入を手に入れたい。
国をまたいだ投資資金のマネー・フローにも同じことが言える。今、為替レートが変わらないと仮定する。米国の景気が良い=GDP成長率が高まったとする。資金需要が増え、FRBは利上げを重視し始める。金融政策の予想を反映しやすいといわれる2年物国債の流通利回りを中心に、米金利は上昇する。一方、わが国の物価上昇圧力は弱く、日本銀行は低金利政策を重視している。
この結果、日米の金利差が拡大する。金利が低いわが国の円を持ち続けるよりも、円を売ってドルを購入したほうがより高い利得が見込める。この期待から、多くの市場参加者が、低金利の円を借り入れ、投資資金を調達する。その上で、ドル買い・円売りのオペレーションが実行される。これが、日米の金利差確保を狙う“円キャリートレード”だ。
円高圧力の要因は「円キャリートレード」の巻き戻し
ドル高・円安の流れに、円キャリートレードの増加は大きな影響を与える。特に、ヘッジファンドなどの大口投資家は大規模にキャリートレードを行うことが多く、相場の方向性に影響を与えやすい。
反対に、米国経済の先行き懸念が高まるなどして不確実性が高まると、投資家はリスクを避ける。具体的には、保有していたドルを売却して円を買い戻し、リスクを抑制する。この円キャリートレードの巻き戻し(解消)は、円高圧力を高める主な要因だ。
8月に入ってからの円高にも、円キャリートレードの巻き戻しが影響している。世界経済の先行きの不透明感が上昇しリスク回避から円が買い戻された。FRBをはじめとする海外の中央銀行が従来以上に金融緩和を進めざるを得ないとの見方も増えている。
中国からは急速かつ大規模に資金が流出
多くのリスク要因がある中でも、米中貿易摩擦の動向は重要だ。中国経済は成長の限界を迎えており、その上に米中摩擦が激化している。大統領再選を目指すトランプ氏は、基本的には中国に圧力をかけて支持率を高めたいはずだ。一方、中国の習近平国家主席は、景気悪化などを理由に党内からの批判や国民の信頼感低下に直面している。
一時的に、米中が部分的な制裁関税の先送りと農産物購入の拡大などの妥協点を見いだし、休戦協定が結ばれることはあり得る。ただ、中国の補助金政策や技術の強制移転問題などの根本問題に関して、米中の合意は難しい。
この状況下、米国の制裁関税の回避などを理由に米アップルなどは中国の生産拠点を他の新興国に移している。それが世界のサプライチェーンを混乱させ、中国を中心に世界の製造業の景況感が悪化している。
中国経済の減速懸念は一段と高まり、中国からは急速かつ大規模に資金が流出している。中国人民銀行(中央銀行)は為替介入を行い、必死になって人民元の下落を食い止めているのが実情だ。また、香港では反政府デモが激化している。この問題をめぐっても米中の意見が対立し、市場参加者は警戒感を強めている。
海外要因に支えられてきた日本経済に暗雲
中国経済の減速から、ユーロ圏経済の落ち込み懸念も高まっている。7月まで13カ月連続で、中国の新車販売台数は前年同月の実績を下回った。中国で販売を増やしてきたフォルクスワーゲンなどドイツ自動車メーカーの業績は悪化している。
その影響から、4~6月期のドイツ実質GDP成長率は前期から0.1%減少した。ドイツ経済の減速鮮明化を受けて、ユーロ圏経済の先行き懸念も高まっている。
近年の日本経済は、海外の要因に支えられて持ち直してきた部分も多い。少子化、高齢化に加え人口減少が進む中、わが国の経済が自律的に持ち直すことは容易ではない。見方を変えれば、わが国の経済は海外経済の変調に対してぜい弱な側面がある。政府中心にこの問題にどう対応するかが重要だ。
2011年11月以降、外国為替市場では米国のゆるやかな景気回復に支えられて徐々にドル高・円安が進んだ。2013年4月の“量的・質的金融緩和”を皮切りに日銀は異次元の金融緩和策を進めた。それが、ドル高・円安を勢いづかせた。円安は企業業績や海外で保有する資産の価額などを“かさ上げ”し、株価上昇や“官製春闘”での賃上げを支えた。
米中の景気が落ち込めば、日本経済の減速は避けられない
今後、円高が進むとわが国の経済にはマイナスの影響が出ることは避けられない。すでに米国経済は減速している。ここから先、円安トレンドを期待することは難しい。今後、米国の景気が一段と落ち込み、それとほぼ同じタイミングで中国経済の減速が鮮明化すると、日本経済の減速は避けられないだろう。今すぐにそうした展開が起きるとは考えづらいが、先行きは楽観できない。
景気への懸念が高まった際、日銀が追加緩和に踏み切る可能性はある。ただ、すでに日銀の政策は事実上の限界を迎え、大きな効果は期待できない。むしろ、さらなる金利低下は銀行などの収益力をさらに低下させ、経済にマイナスに働く恐れがある。
それがわかっていても、円高が進み国内経済の先行き懸念が高まると、市場参加者は日銀に追加緩和を求め始める。日銀は何らかの形でその期待に応える必要がある。その上で重要なポイントは、緩和的な金融環境を生かし、中長期的観点から構造改革を進めることだ。
世界各国を見渡すと、わが国の政治は相対的に安定している。政府はその状況を最大限に生かすべきだ。規制緩和などを進めて成長期待の高い分野にヒト・モノ・カネの経営資源が再配分され、企業が“ヒット商品”の創造(イノベーション)が目指される環境が整備されればよい。それは、わが国経済の円高への抵抗力を高めることにもなる。
ヒット商品が創出できれば新しい需要が生まれる。それが、わが国経済の実力(潜在成長率)の引き上げにつながる。それに向けた改革が進むか否かが、わが国経済の先行きを大きく左右するだろう。
真壁 昭夫(まかべ・あきお)
法政大学大学院 教授
1953年神奈川県生まれ。一橋大学商学部卒業後、第一勧業銀行(現みずほ銀行)入行。ロンドン大学経営学部大学院卒業後、メリル・リンチ社ニューヨーク本社出向。みずほ総研主席研究員、信州大学経済学部教授などを経て、2017年4月から現職。
(法政大学大学院 教授 真壁 昭夫)