インドの伝説の宿「久美子の家」、日本人旅行者減少 主要客は中国・韓国人に

 
「久美子の家」経営者のガンゴパダヤイ久美子さん=2月、インド・バラナシ(共同)

 インド北部のヒンズー教聖地バラナシに、日本人バックパッカーの伝説的な安宿「久美子の家」がある。約40年前にインドに渡ったガンゴパダヤイ久美子さんが経営している。最近は、日本人旅行者の減少で中国や韓国の青年も主要客だ。宿の人気者だった夫のシャンティさんは1月に他界した。悠久のガンジス川に臨む宿は今も旅人を引きつける。

 「世界一周」。古いマットレスが並ぶ1泊100ルピー(約170円)の相部屋の壁には日本語など数カ国の言語で落書きがぎっしりとある。「20年前は日本人が1晩60人ぐらい泊まっていたけど、最近は各国計10人ほど。落書きも中国語や韓国語ばかり」(久美子さん)

 東京出身の久美子さんは訪日中の芸術家シャンティさんと知り合い、1977年ごろ結婚。5年後、3階建ての自宅を宿に改修した。「インド人に毎日だまされて疲れていたとき、宿にすれば日本人と話せて寂しくないと夫が決めてくれた」

 ガンジス川から昇る朝日が見える宿は、バックパッカーの増加とともに世界の「日本人宿」の草分けとなった。旅行作家の蔵前仁一さんは「他の旅人と車座で語り合うオアシス」と振り返る。

 旅行記や漫画に取り上げられ、90年代後半には、お笑いコンビ「猿岩石」の旅番組の影響で最盛期を迎えた。「まねをして危険なヒッチハイクをする若者を止めるのに必死だった」

 日本では少子化で旅行者が減った。一方のインドでは経済成長に伴い、低価格で設備のより整ったライバルが増えた。シャンティさんは体が弱り、1月16日に死去。ツイッターには2月、昔の旅行者からとみられる追悼の言葉があふれた。「日本には一度も戻らず、がむしゃらにやってきた」と久美子さんは静かに語る。いつか、宿の経営を継いでくれる日本人を探している。(バラナシ 共同)