想像の前に現実をつかみ取る デザインに必要な「観察力」

 

 高校生の息子のアートの宿題を眺めていて、ふと思い起こした。そういえば小学校の頃から、人物や風景を描く課題がなかった。ぼく自身、小さな頃に親の顔や山や海の風景を描いたが、自発的ではなく先生に言われて描いたような記憶がある。

 とすると、息子が通ってきたミラノの学校の先生はそろって、ぼくが日本で経験したとは異なるテーマを与えてきたのだろうか。

 彼が多く描いてきたのは近現代の名画の模写や建築物だが、中学生の時に学校に行くと、裸婦画の模写が廊下に沢山貼られているのに驚いたことがある。

 これ以外にも描いてきたのだろうが、自分自身の経験とあまりに違うので印象に残っている。ぼくが受けた教育では想像力が強調され、息子が受けている教育は観察力にポイントがおかれている、とそう思えた。

 日本とイタリアのアート教育の違いを語るには、あまりに判断材料が少ないので、ここでは観察力について思うことを書きたい。

 ぼくはデザイナーやアーティストと一緒に出張することも多いが、いつも劣等感に陥るのは、ぼくのカタチに対する記憶力のなさである。

 「これは、先日、あそこで見たデザインだよね」というセリフが彼らからよく出てくる。ぼくにとっては、「あれに似ているかもしれないな」程度のものが、彼らは、「あれと同じだね」とデータで確認することなく、その場で断言する。

 記憶力だけでなく、あるデザインを詳細に見る観察力の欠如なのか。

 巨匠と呼ばれるカーデザイナーと長い間仕事をした人に、よく聞かされたエピソードがある。

「彼はね、モーターショーで見たクルマのドアノブの形状を全部覚えているんだよ。2年前のショーでみた、あのクルマの形状に近いとか。驚くのは、それだけでなく、その時のモーターショーのデザインの傾向と関連付けて話すんだ。例えば、あの年のフランクフルトのショーのドアノブの形状が、エクステリアデザインの動向とどういう関係にあったかまで説明する」

 巨匠であるから、ドアノブだけをデザインする一スタッフではない。それでも見たドアノブはすべて頭の中にある。

 カタチのデータだけなら、画像検索の発達と共に巨匠の記憶力は「すごいよね!」だけの話で、さほど賞賛されるわけではない。百科事典の内容を覚えていても、あまり評価されなくなってきたのと同じだ。「ウィキペディアを見ればすむじゃない」と。

 しかし、クルマのデザインの全体の流れとドアノブを結びつけて記憶しているとなると、「さすが、巨匠はデザインのコンテクストをよく理解されている」という褒め言葉を受けることになる。

 この話で肝心なところは二つある。

 一つはモノを丁寧に観察して正確に記憶しておく大切さだ。マルと楕円は同じく「丸っこいもの」と記憶していると、「この5-10年、カタチに変化はない」という判断になる。しかし、マルと楕円は別物であるとの区別がついているならば、「この5年ほど、以前のマルが楕円に変化してきた」と正確に状況の推移を把握することができる。

 二つ目はモノを一つのモノとしてだけではなく、周囲の環境のなかでどうであったか、まとめて頭の中に入れておくことだ。あるモノが美しいかどうかは、モノが存在する環境により左右されることもある。またはモノをみる順序によっても変わる。

 こうしたことを考えながら、ぼくが教育のなかで強調された想像力を駆使することと、人物や風景を描くことはどのような関連があったのだろうと思う。どこかで見た山と川の風景の記憶を辿り、正確には記憶していない部分を補うことが想像力だったのだろうか。

 現実を把握するには数字でおさえろ、とよく言われる。確かに数字で表現できるものは数字でおさえるのが大事だ。しかしながら数字でおさえ切れないものも世の中には多い。

 その場合、想像による補完も活用できるが、なによりもまず観察によって現実をつかみ取る覚悟がどうしても必要になる。

 マルと楕円を区別することで現実はより正確にとらえられ、掘り下げるべきネタはさらに豊かになる。(安西洋之)

【プロフィル】安西洋之(あんざい ひろゆき)

上智大学文学部仏文科卒業。日本の自動車メーカーに勤務後、独立。ミラノ在住。ビジネスプランナーとしてデザインから文化論まで全方位で活動。現在、ローカリゼーションマップのビジネス化を図っている。著書に『世界の伸びる中小・ベンチャー企業は何を考えているのか?』『ヨーロッパの目 日本の目 文化のリアリティを読み解く』 共著に『「マルちゃん」はなぜメキシコの国民食になったのか? 世界で売れる商品の異文化対応力』。ローカリゼーションマップのサイト(β版)フェイスブックのページ ブログ「さまざまなデザイン」 Twitterは@anzaih

ローカリゼーションマップとは?
異文化市場を短期間で理解するためのアプローチ。ビジネス企画を前進させるための異文化の分かり方だが、異文化の対象は海外市場に限らず国内市場も含まれる。