日航の定時運航と空の安全を支えるグランドハンドリング 空港で活躍する特殊車両も紹介

 
トーイングカーの運転席に収まる酒井さん。一般的な乗り物よりもはるかに視点が高い

 もうすぐ夏休みシーズン。カレンダーとにらめっこしながら帰省や旅行の計画を練っている人も多いのではないだろうか。この時期の飛行場は、遠方へ“大移動”する旅行客でごった返し繁忙を極める。そんな目まぐるしい環境の中、少しでも乗客が快適な時間を過ごせるようにと、各地を結ぶフライトの円滑な運航と空の安全を陰で支えているのが、グランドハンドリングと呼ばれる地上サービスに従事するグランドスタッフだ。関係者以外はなかなか入ることのできない羽田空港の駐機場で最前線をのぞいた。案内してくれたのは意外にも、入社5年目の小柄でかわいらしい女性社員だった。(文・写真 大竹信生/SankeiBiz)

 小さな特殊車両が航空機をプッシュバック

 ほぼ真下から見上げるボーイング767型機は機体に厚みがあって、中型旅客機とは思えない迫力に圧倒される。ここは羽田空港第1ターミナルの9番スポット。安全のために視認性の高い蛍光イエローの反射チョッキを着て、カメラを片手にエプロンと呼ばれる駐機場に立っている。国交省から許可をもらわないとまず立ち入ることのできない飛行場の“聖域”だ。目の前を横切るたくさんの特殊車両や、次々と飛び立つ航空機のエンジン音と熱気を直接肌で感じられるほど距離が近い。滑走路の向こうまで見渡す限りの平地が広がり、時折強い風が吹きつけている。

 こちらも出発の時間だ。巨大なエンジンを吊り下げた鹿児島行きの767型機が、9番スポットからバックで動き出した。航空機は自動車と違って自力で後退することができない。全長約55メートル、重さ100トンを優に超える767を機首から後方に向かって押しているのは、機材と並ぶとはるかに小さい真っ白のトーイングカー。機材の牽引(トーイング)も押し下げる(プッシュバック)ことも一台でできる特殊車両だ。誘導路までプッシュバックを終えると、トーイングカーと機材をつなぐ棒状のトーバーがグランドスタッフによって取り外された。航空機は誘導路を自走して滑走路に向かうと、テークオフの合図とともに勢いよく飛び立ち、あっという間に遠い空の向こうに消えていった。

 運転していたのは24歳の小柄な女性

 ひと仕事を終えたトーイングカーが帰ってきた。767と向かい合ったときはあんなに小さく見えた車両だが、目の前に止まるとダンプカーのように全高が高い。まるではしごを伝うように体を大の字に目いっぱい伸ばしてトーイングカーから降りてきたのは、JALグランドサービス社(JGS)でグランドハンドリングに携わる酒井ゆりさん。入社5年目の小柄な24歳の女性だ。とても特殊車両を操って航空機を押すようなタイプには見えないが、実はトーイングを始めたのは最近だそうだ。「今年の1月からトーイングの訓練が始まって、5月に試験が終わって独り立ちしました。それまでは手荷物の搭降載をやっていました」とはにかみながら語る。時刻はまだ朝の10時30分だが、この日は「最初に押したのが6時15分の出発便です」と早朝からすでに何本もの機材を見送っている。

 グランドハンドリングの業務内容は多義にわたる。トーイングやプッシュバック以外にも、「到着便が来た時にマーシャリング(航空機を駐機場へ誘導)を行い、ボーディングブリッジ(搭乗橋)を付けてシップのドアを開けたりします。大型便であれば、ハイリフトローダーを付けてコンテナを降ろしたりします」と教えてくれた。

 到着から出発までに万全の準備を

 プッシュバックの間隔は30分に1本くらいだという。9番スポットに徳島からやって来た到着便が入ると、酒井さんは再び我々の元を離れ、機材に電源コネクタを差し込んで作業用電源を確保したり、外部エアコンを供給する蛇腹状のホースを取り付けたりと出発の準備に大忙しだ。酒井さんのほかにも3、4人が一緒になって様々な作業にあたっている。それぞれ持っている資格が異なり、それによって作業内容も変わってくるそうだ。

 到着便の横で彼らの仕事ぶりを眺めていたのだが、機材周辺では様々な特殊車両が往来し、想像以上にせわしない。グランドスタッフは機材にボーディングブリッジを取り付けて乗客を空港内に誘導し、パイロットが機内の最終チェックを行う。機外では機体側面のハッチが開き、ハイリフトローダーに載せられたコンテナを地上に降ろす。これら大型貨物はトーイングトラクターに連結されたコンテナドーリー(荷台)の上で方向転換させ、貨物列車のように奥から次々と並べられていく。コンテナは重いもので1トンにも達するそうだが、もちろん華奢にみえる酒井さんも巨大な箱を一人で動かして荷台に積載し、準備を終えるとトーイングトラクターを自ら運転して所定の場所まで運んでいく。乗客の手荷物はベルトローダーと呼ばれるコンベヤー付きの車両で一つひとつ丁寧に降ろされる。

 その間にも大きな翼の下では給油車のホースから燃料の補給が行われ、フードローダーで運ばれてきた機内食がどんどんと積み込まれていく。ふとボーディングブリッジを見上げると、すでに乗客が搭乗を開始している。先ほど手荷物やコンテナを降ろしたばかりと思っていたら、実は積み込みも続けて行われているのだ。やがてすべての作業が迅速に完了すると、再び酒井さんがトーイングカーに乗り込み、仲間の合図とともに機材のプッシュバックを始めた。動き出すときは「機内に衝撃がいかないようにアクセルをゆっくり入れることを心がけています」と丁寧な操縦を意識しているそうだ。確かにこのペースならプッシュバックは30分に1本の計算となる。一つの便が到着してから再び出発するまで時間は限られている。これまでに何度もニュースになっているが、日本航空は毎年のように世界でもトップクラスの「定時到着率」を誇っている。この名誉は、酒井さんらグランドスタッフによる正確かつ迅速な作業によって日々のスムーズな運航が実現しており、乗客を目的地まで安全・快適に送り届けるエキスパートの妙技を間近で確認することができた。

 グランドスタッフを志したきっかけとは?

 酒井さんがグランドハンドリングに興味を持つようになったきっかけは、修学旅行の時に乗った飛行機の真下で働くグランドスタッフを見て「カッコいいな。飛行機の近くで働きたいな」と思い始めたからだという。その後、航空専門学校に進学。在学中にJGSのインターンシップに参加し、現場の作業やスタッフの雰囲気など総合的に見て「ここがいい」と感じたそうだ。卒業前にトーイングカーの運転に必要な「けん引免許」と「大型特殊免許」を取得してからJGSへの入社を果たした。

 はたから見ていてもかなりの力仕事だが、「今は体力がついて慣れました」という。とはいえ、常にイレギュラーな条件に振り回されるハードな現場。「到着便が遅れて入って来たときに、出発時間に間に合わせないといけないときは大変です。なるべく定時で出そうと頑張っているので、時間がない中での作業は難しいですね。天候にも左右されます」と語る。

 勝手に“男社会”のイメージを持っていたが、「最近は女性スタッフも増えてきて、いまではたくさん後輩がいます」。家族や友人たちは「飛行機のそばで仕事をしているってかっこいいね」と言ってくれるそうだ。

 酒井さんにとってこの仕事の魅力は何だろうか。「飛行機の運航は同じ状況がひとつもないことが魅力かなと思います。また、飛行機をしっかりと定時で出したり、お客様に手を振ってお見送りをした時が一番嬉しいです」。

 今度、飛行機に乗るときはぜひ窓の下を覗いてほしい。きっと作業を終えたばかりのグランドスタッフたちが充実した表情でみなさんに手を振っているはずだ。「お客様が手を振り返してくれたときは嬉しいです。こちらからけっこう見えているんですよ」

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【非常に珍しい2機同時のプッシュバック】