【ヤン・ヨンヒの一人映画祭】誰も幸せになれない理不尽 息苦しい

2015.3.6 13:00

 □映画「妻への家路」

 アジア映画界を牽引(けんいん)する中国の巨匠、チャン・イーモウ監督(63)と、元祖「アジア映画のミューズ」である女優、コン・リー(49)の黄金コンビが復活した。世界中の映画ファンにとっては号外レベルのニュースである。チャン監督が「女優を発掘し大成させる名人」と言われたのも、かつて「紅いコーリャン」(1987年)でコン・リーをデビューさせ、その後も多くの作品でタッグを組み成功を収めたことに始まっている(もちろんチャン・ツィイーの発掘も含め)。

 涙が止まらない作品

 一世を風靡(ふうび)した監督と女優のロマンスから破局までは、映画界の常識的ゴシップでもあった。ミーハーな私は、歳月を経た2人がどんな物語を紡ぎだしてくれるのかと興味津々で映画館に向かった。そして、劇場を出る私の目は泣き過ぎて真っ赤に腫れ上がり、ハンカチは涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっていた。スティーブン・スピルバーグ監督(68)の「1時間涙が止まらなかった」という感想が誇大広告ではないとまず先に申し上げておこう。静かな、しかし、ほとばしる情熱と熟練の技が結集し、宝石のような作品が生まれたことに心が震える。

 舞台は文化大革命時代の中国。舞踊学校で主役候補である娘(チャン・ホエウェン)は高校教師の母(コン・リー)と一緒に党の執務室に呼ばれる。「反右派闘争」によって逮捕された大学教授の父(チェン・ダオミン)が収容所から逃亡したというのだ。公安たちは、夫が訪ねてきたら通報するようにと妻と娘に迫る。父が「思想犯+逃亡犯」になってしまった娘は、革命的舞踊作品の主役から“兵士役”に降格する。

 そして夜、逃亡中の夫が訪ねてくる。心を鬼にし、涙を流しながらも息を殺し居留守を装う妻。娘を案じる母は最後までドアの鍵を開けない。夫は赤い紙切れに「明日8時、駅の陸橋で待つ」とメモを残す。アパートの廊下で父を見かけた娘は、主役の座と引き換えに父と母の約束を公安に密告する。翌朝、駅の陸橋に向かった妻の目の前で夫は逮捕される。やがて文化大革命が終結し、夫は釈放され家に帰って来る。

 20年間夫を待ちわびた妻はしかし、夫の顔だけが記憶から消えるという心因性の記憶喪失を患っていた。妻の記憶を必死に取り戻そうとする夫と、父に寄り添う娘。夫は、自分を他人と思い込む妻に対して「お向かいに住む親切な人」「ピアノの調律師」「まだ帰らぬ夫からの手紙を読む人」など幾つもの「役」を演じながら尽くす。妻の心の病の原因も明らかになっていくが、時間はただ残酷に流れる…。

 すべて受け入れ、あきらめない

 悪人はいないのに誰一人幸せになれない理不尽さが息苦しい。夫の「罪」は西洋を知るインテリであったこと、娘の「罪」は学校で教わる思想を信じたこと、そして妻の「罪」はドアの鍵を開けなかったことと、夫の減刑を党幹部の男に陳情したことにすぎない。善良な家族が「狂った時代」に翻弄(ほんろう)され傷ついていく姿がつらい。がしかし、映画はどこまでも優しさにあふれている。登場人物は他人を責めないし時代のせいにしない。彼らはすべてを受け入れ明日を信じてあきらめない。まるで悲劇のど真ん中に希望の光がくっきりと差しているようだ。

 殊玉の演技で描かれた名画のページをめくるように場面を追いながら涙が止まらなかった。北京オリンピックなどの国家行事の演出も手がけるチャン監督だが、強烈な検閲制度がある中国国内で自らの苦い体験を基に反右派闘争をにおわせる作品も作り続けてきた。許しても忘れない、だから伝え続ける。したたかでしなやかな生きざまが作品にそのまま映し出されている。(SANKEI EXPRESS)

 ■ヤン・ヨンヒ(梁英姫) 1964年、大阪市生まれ。在日コリアン2世。映画監督。最新作「かぞくのくに」は第62回ベルリン国際映画祭で国際アートシアター連盟賞を受賞。他に監督作「ディア・ピョンヤン」「愛しきソナ」がある。

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