英国・独立調査委員会が1月に公表した報告書の報道に接し、深い闇の中より「あの事件」がほんの一瞬“顔”をのぞかせた、気がした。報告書は、元ロシア諜報機関・連邦保安庁(FSB)中佐のアレクサンドル・リトビネンコ氏(当時43歳/英国籍)が、猛毒の放射性物質ポロニウム210を混入したお茶を飲み、ロンドンで暗殺された事件(2006年)に、ウラジーミル・プーチン大統領(63)が関与していた可能性を指摘した。動機は、プーチン氏が政権を掌握する契機となった1999年のアパート爆破事件がFSBの自作自演だった過去を、リトビネンコ氏が明らかにしたためという。本件が露諜報機関員による暗殺なら物的証拠は残さぬが、報告書には状況証拠が満載だ。だが、筆者が95年に追跡した事件には状況証拠すらなかった。日本の戦後最大のスパイ事件の発覚後、19年も経過して謎の死を遂げる元外務省調査員の名前は、産経新聞の連載《戦後史開封》を担当した際入手した、600ページにのぼる《部外秘》の捜査関係資料に在った。