《日露戦争/1904~05年》は大日本帝國陸海軍の大胆にして細心なる戦略・作戦・戦術や勇敢な将兵に加え、集団的自衛権《日英同盟/02~23年》も効力を存分に発揮し勝利をつかむ。二等国=日本と超一等国=大英帝国の不釣り合いな同盟締結は《義和団の乱/00~01年》におけるわが国の天晴れな振る舞い&実績に英国が驚嘆した結果でもあった。同盟は、敵対国との《世論戦》を制す一因ともなった。アンポ反対派はこうした明治の「不都合な歴史」を封印、作為的に昭和の暗部を特出しし、安全保障関連法制に「戦争法案」のレッテルを貼る。
絶大な意義の「日英同盟」
「安倍辞めろッ。バカかお前は!」
アンポ反対デモではお下劣な言葉も飛び交うが、日英同盟締結を受けた「デモ」は品格が伴った。慶應義塾関係者が日英国旗や塾旗を掲げ、1000人単位で本拠地の東京・三田~宮城~英国大使館~外務省を行進。「万歳っ」の合間に「祝ぐ今日の嬉しさよ」と《日英同盟を祝する炬火行列の歌》を唱和した。
「祝ぐ今日の嬉しさ」に、国民の万感の思いが伝わる。勝ったはずの《日清戦争/1894~95年》の講和条約が認めた遼東半島領有権をロシア/フランス/ドイツによる《三国干渉》で放棄せざるを得ず、二等国の悲哀を思い知らされたが、対等な同盟締結で屈辱感が癒やされたのだ。