新たな道を海外に求めた。プロ野球選手としての現役引退を表明すると同時に、ニュージーランド野球連盟のゼネラルマネジャー(GM)補佐と代表チームの統括コーチに就任することを3月25日に東京都内で開いた会見で報告した。
泣くつもりはなかったのに、こみ上げるものを抑えることができなくなったのは、幼少期から支えてくれた両親のことを思い出したからだ。
とくに母親は、少年野球を始めたころからいつも早起きをして弁当を持たせてくれた。夜遅くまで練習に明け暮れた高校時代は、たくさんの練習着を持っていなかったので、帰宅後に母が洗濯してくれた。いよいよ現役を終えるという瞬間、改めて感謝の気持ちがわいてきた。
13年間の現役生活。一言で振り返ることができるほど、薄っぺらい野球人生ではなかった。初登板は敗戦処理のマウンドだった。2002年に先発転向してから5年連続2桁勝利。エースと呼ばれるまでになった。10年に横浜(DeNA)に移籍。11年に左膝を手術し、翌年に再手術をするも、最後の1年は1軍で投げることができなかった。