カードの色さえ思い出せない
ある日、その人の財布からキャッシュカードが出ていった。
さよならのひと言もなしに。
引っ越しの準備でここのところ忙しくしていたその人は、隠れているのだろうとタカを括(くく)って、財布の切れ込みを一つ一つ笑いながら探した。
だが、カードは見つからなかった。
その人は昼まで待った。食事を済ませ、コーヒーを飲み終わったあと、テーブルの上に置かれていた財布を覗(のぞ)きこみ、カードが本当に自分の元から消えてしまったことを知った。
その人はカードの色を思い出すことができなかった。赤だった気もするし、銀だった気もする。
「私のことなんて、どうせお金を払うだけの存在だと思ってるんでしょ」
その人は、いつかカードが自分にそう言ったことを思い出した。雨の日のコンビニ。ATMの前で。カードの言葉を笑って聞き流し、その人は嫌がるその体を無理矢理財布から引き抜いて、機械の挿入口に無造作に差し込んだ。