ムクニ村の村長スタンリー・シャチルビ(75)は「リビングストンを見た村の者たちはアラブの奴隷商人だと思って逃げ惑った」と言う。「やがて、村人たちは礼儀正しい彼を好きになった。日焼けした白人は少し黄色く見えたので、ムナリ(現地語でトウモロコシ)と呼ばれ親しまれた」。祖父から聞いた逸話だ。
リビングストンは200年前の1813年、英北部グラスゴー郊外の貧家に生まれた。27歳で宣教師としてアフリカ南部に派遣され、布教の傍ら各地を探検。奴隷虐殺を目撃したのをきっかけに、奴隷貿易の廃絶運動に立ち上がる。
情熱を注いだのがザンベジ川の水路開拓だ。孤立した内陸を沿岸と結ぶ交易ルートができて農業が育てば、村々が奴隷商人を排除する力を持つようになると説いた。スコットランド博物館によると、滝に女王の名を冠したのも、英国人の関心を奴隷貿易とこの地の開拓に向けるためだった。
目的は探検ではない
欧州の人々が“暗黒大陸”と恐れたアフリカ深部に踏み入り、生還したことで一躍、英雄となったリビングストンは58年2月、グラスゴー大で演説し「目的は探検ではない。はるかに崇高なことのためだ」と宣言する。