2013.9.6 17:01
【Campus新聞】
華やかなオリンピックの中心会場となったロンドン東部だが、「イーストエンド」と呼ばれるこの地域は、19世紀ごろから貧困層が居住するエリアだった。20世紀初頭には、移民の流入で過密化が進み、不衛生な環境に加え、犯罪も多発していたという。
1888年に起きた、あの有名な「切り裂きジャック」による連続殺人事件の舞台となったのも、イーストエンドだ。
さらに工業地帯であり、ロンドン中の電気を賄う発電所が集中していたほか、廃棄物処理場などもあり、土壌汚染問題も深刻化していた。
そんななか、イーストエンドが五輪のメーン会場に選出されたのは、こうしたさまざまな都市問題を五輪会場の開発によって解決することが最大の狙いだったともいわれている。
「イーストエンドを地図に載せよう」。この地域がメーン会場として選出された当時に謳われていたキャッチフレーズだ。「東の端」と揶揄(やゆ)され、境界もなく、これまで放置されてきたこの地域を、五輪開催とそれに向けた開発によって、ロンドンの重要なエリアに飛躍させようという思いが込められている。