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会社は廃校の理科室 “Iターン焙煎士”が生み出した「奥大山の水洗い珈琲」

 趣味のコーヒー焙煎の腕を磨く過程で生(なま)豆(まめ)を水洗いする「水洗いコーヒー」を知り、中国地方の最高峰・大山(標高1729メートル)の麓で昨年、63歳で起業した元サラリーマンがいる。千葉県出身の遠藤明宏さん(64)だ。Iターン焙煎士が生み出したのは「奥大山の水洗い珈琲」。会社勤めで培った広報、営業スキルを駆使して着実に販路を拡大。「鳥取の新名物にしたい」と夢を膨らませている。

雑味なくスッキリ

 「水洗いの水はと考えたとき、思い浮かんだのは奥大山の水だった。抜群にブランド力がある」

 遠藤さんが昨年10月、立ち上げたのは「奥大山の水洗い珈琲合同会社」。水洗いコーヒーは、コーヒーの生豆を水で洗って泥を落としたあと焙煎したコーヒーだ。いずれも最高級のグアテマラ、コロンビア、ブラジルの3種類のコーヒー豆を使う。

 作業は、黄土色をした生豆を洗いおけに入れて大山の伏流水を使った地元の水で洗う。両手で拝むように丁寧に洗うと、透明な水が泥色に染まる。洗った豆をざるに受け、再び洗いおけに入れて洗う。

 この工程を3度繰り返すと、洗っても水は透明のままとなる。焙煎の仕方は特段変わったものではなく、水洗いコーヒーの特徴は、この洗いの作業に尽きるという。

 「生豆には想像以上に泥が付着している。泥を落とした生豆を焙煎したコーヒーは、すっきりとクリアな味で雑味がない。試しに飲んでもらうと、みんなそう言ってくれた」

サラリーマンスキルで

 遠藤さんは大学卒業後、日本ハムで商品企画や営業の仕事に就いたサラリーマンだ。55歳で早期退職したあと、大阪でパートタイムの仕事をしていたが、昨年秋に鳥取県江(こう)府(ふ)町にIターンした。

 遠藤さんの妻の淑(よし)美(み)さんは鳥取県倉吉市出身。大阪大で看護学を教えていたが、同市にいる両親の面倒をみるためUターンしたいと遠藤さんに希望していた。遠藤さんは、過去に何度も訪れていたことから鳥取への移住を決断した。

 その際、障害となったのは仕事で、「食に関する仕事がしたかったが、職はない。起業すれば必ず試練が訪れるが、好きなことなら試練を突破できる」と考えた。

 大阪で開催された鳥取県への移住相談会に何度も足を運び、奥大山の水に行きついた。江府町からは事業拠点の紹介を受け、鳥取県からはベンチャー支援金の支給を受けた。

 「サラリーマン時代の営業の極意は『座ってしゃべらない』こと。そうすることで、相手に関心をもってもらい、そこから話が始まり、支援を受けることになった」

 起業して10カ月、会社の運営にはサラリーマン時代のスキルが生きているという。どういうルートで商品を流すかという「流通」、商品を発信する「広報」、商品づくりの際の「品質管理」。県のローカルベンチャー支援補助金を受けた際には、事業採択を受けるために県でプレゼンテーションをしたが、そのスキルもサラリーマン時代に培ったものだった。

 開発した商品は、社名と同じ「奥大山の水洗い珈琲」。最初は町内にある「道の駅」に置いてもらうだけだったが、広報の力で知名度が広がり、JR西日本の米子、鳥取、松江駅構内やホテル、百貨店、東京にある県などのアンテナショップと、商品を扱ってもらう場所が着実に増え続けている。道の駅では、400~500ある商品の中でも人気商品になっているという。

「毎日幸せいっぱい」

 会社は、大山の南西山麓、標高約400メートルの奥大山に位置する、廃校となった小学校の校舎内。ここへ毎日、妻の実家がある倉吉市から約50分かけて車で通う。

 校舎1階の元理科室に焙煎機を持ち込み、水洗いから焙煎、出荷まで1人で仕事をこなすが、利点は水もガスも最初からそろっていたこと。セミの声、カエルの鳴き声、植物の実り…峠越えの通勤路では自然に囲まれて生きていることを実感し、「毎日が幸せいっぱい」という。

 今は月に約100キロを焙煎しているが、将来的には従業員10人、月間の売り上げ1千万円を目指すと話す。Iターンして事業を始めるまで多くの人に世話になったと感じている。

 「起業までを振り返るとすべてが天恵だった。事業を軌道に乗せて税金を払い、雇用にも役立ちたい。高齢者が多い地区だが、高齢者が集いコミュニケーションを図れるカフェを営業して地域貢献したい」と、夢を広げた。(松田則章)

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