まさかの法的トラブル処方箋

「不倫バッシング」は倫理観の高さの現れなのか 不貞行為にまつわる“誤解” (1/3ページ)

上野晃
上野晃

 日本人の倫理観は元来高くない

 ここ数年、不倫に対する風当たりは非常に強いです。まあ倫理に背いているから不倫というのだし、だとしたら世間の風当たりが強いのは当たり前と言えば当たり前ですが。とはいえ、最近の有名人に対する不倫バッシングは凄まじいものがあります。親の仇くらいの勢いで激しく責め立てるその風景は、正直ちょっと引きます。弁護士がこんなこと言っていいのか分かりませんが。

 そもそも昔の日本人は、不倫に寛容だったなんていう説もあります。江戸時代の性はもっと開放的だったなんて。誰もその時代を生きていないのに…。それでもその説には何となく説得力を感じます。というのも、日本人は元来、倫理観がそれほど高くなかったのではないかって、私はそう思っているんです。

 これは日本人と宗教との関わりから考察するものです。多くの日本人はキリスト教を始めとする一神教とは距離を取っています。神と契約を結ぶ一神教では、厳しい掟の下、倫理が作られていきます。しかし日本人の宗教観はそうではありません。日本人は万物が神であって、そこに神との契約はないのです。宗教に基づく倫理が希薄。だから日本人は倫理というものがあまり育まれていないように思うのです。

 日本人の行動規範は、どちらかと言えば「他人の目」。だから「バレなきゃいい」という意識を生みやすい。これは倫理観の希薄な日本人の悪い面だと思うのですが、倫理観が薄いが故に他者に寛容であるといった長所もあったと考えます。「和を以て貴し」という考えは、互譲の美徳です。互いに譲り合うという精神は、裏を返せば妥協の精神であって、一本貫かれた芯というものは感じられません。

 これもまた、日本人の倫理観の希薄さと無関係ではないのではないでしょうか。

 小泉今日子さんの“交際”公表

 現代の日本人の多くが、不倫に対して奇妙な誤解をしているように思います。いや、もしかしたら誤解しているわけではなく、単に法的な意味での「不貞」と不倫とを区別しているのかもしれません。

 いずれにしても、私は、女優の小泉今日子さんと俳優の豊原功補さんとの交際について、不倫としてバッシングを受けたことについて、大いに違和感を覚えたのです。

 2018年2月、小泉さんは豊原さんとの交際を堂々と公表しました。この時、豊原さんには戸籍上の奥さんがいました。そのことで、多くの人が不倫だとバッシングをしたのです。事実関係は不明なところが多いです。すでに夫婦関係が破綻したところで小泉さんと交際したのか、あるいは小泉さんとの交際が夫婦関係の破綻の原因だったのか。しかし世間はそうした峻別なく、戸籍上の妻がいるにもかかわらず小泉今日子さんと交際した豊原さんをバッシングし、小泉さんもまたバッシングの対象となりました。

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