文化をビジネス観点で語る際、文化のもつ曖昧さや情緒性を排除するか、それらを見ないことにしようとする力がどうしても働く。いわば文化の香りから距離をとろうとしてしまう。
ただでさえ、言葉から文化性が消失していくトレンドがある。これに抵抗する必要はないのだろうか?
イノベーティブなテクノロジーが社会に浸透するとは、テクノロジー自体の普及だけでない。その分野の言葉が比喩的に使われるケースが多くなることである。
例えば、「OSをアップデートする」「OSを変える」が一つだ。OSとはコンピュータのオペレーティングシステムの略であると注釈をつけるのもおかしなくらいに、おなじみの用語である。
これをある組織文化やメンタリティを変えることを議論する際、分かりやすい喩えとして使う。
あるいは、状況や現象をより明確に言葉で説明されたとき、「解像度があがった」という評価の仕方をする。解像度は画像の画素密度を表すが、これを言葉の緻密性や表現力のレベルを形容するのに使うわけである。
かつて自動車の普及とともに、何かをはじめるに「エンジンをかける」、勢いをつけるために「アクセルを踏む」との表現が使われるようになったはずだ。電気とともに「スイッチを切る」との言葉が行きわたったのかもしれない。