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若いときの苦労は、あとで役に立つ 44歳オッサンが若者に説く「大人のラクさ」とは (2/6ページ)

 また、1996年の関東学生パワーリフティング大会に出場した際には、ベンチプレスの60kg級で5位に入った。ベンチプレス一本に賭けていたため、スクワットとデッドリフトの2種目は最下位である。その大会では優勝ラインである115kgを持ち上げようと狙っていたのだが、2回連続でファウルしてしまい、最後の試技では無難に105kgに設定。それで5位になった。大学卒業後もベンチプレスは続け、28歳のときに持ち上げた122.5kgが自分の最高記録となった。

 昔から球技はからっきしダメだったが、胸と肩の筋肉、そして持久力だけは優れていた。それもあって、社会人になってからは自宅のある駒場から会社がある芝浦まで、約8kmをママチャリで通勤していた。それがまったく苦にならないどころか、むしろ「心地よい疲れ」を感じていたくらいだった。電車に乗る場合でも駅まで走り、1本でも早い電車に乗ることを心掛けていた。30代になっても自宅にベンチプレスのセットを置き、週に3回はジョギングをする生活をしていた。

 35歳、衰えは突然やってきた

 ところが、体の衰えは35歳でドカンとやってきた。ある日タンメンを食べたところ、奥歯に違和感を覚えた。何かが挟まっている……。爪でつかんでみたらニラだった。

 オッサンになると歯茎が痩せて歯と歯の間に隙間ができ、そこに食べ物が挟まる。だから楊枝が必要になる、ということは聞かされていたが、ついにオレもシーハ(東海林さだおが使う楊枝使用時の擬音)をするオッサンになってしまったか! と愕然とした。実際はシーハで収まるどころの騒ぎではなく、デンタルフロスを用いなければスッキリしないような状況になっていたのだ。以後、歯に挟まるものは多彩なバリエーションとなっていく。

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