【弘兼】その後、永瀬さんは大学を2年留年し、卒業。野村證券に入社するも、たった2年で退社します。
【永瀬】あるお客様から、「君は将来何をやりたいんだ」と聞かれました。私が「野村(證券)の社長を目指している」と答えると、「君はここの社長になるよりも自分でやったほうがいい」と。その方は株で資金に余裕があった。それで、「ここにある5000万円を貸すから何かやりなさい」と言ってきたのです。
【弘兼】1970年代半ばの5000万円ですから、今の価値ならば何億円というお金ですね。
【永瀬】5000万円という大金を借りるとなると、返済するためにも絶対に成功させなければならない。そこで、野村を辞めて、三井信託銀行(現・三井住友信託銀行)に勤めていた弟にも声をかけ、一緒に事業をはじめました。
「予備校=浪人生」その既成概念を覆す
76年、永瀬は弟と2人で小中学生向けの「東京進学教室」を開校し、2カ月後に「ナガセ」を設立。永瀬は鉢巻きに竹刀という“スパルタ式”で教壇に立って子どもを教え、評判となる。78年「東京進学」を縮めて「東進スクール」に改称。85年、進学塾の卒業生から高校生向けにもやってほしいという要望に応えて予備校「東進ハイスクール」を東京・吉祥寺に本部を置きスタートさせる。
92年には通信衛星を使い授業を配信することでフランチャイズ展開を開始(東進衛星予備校)。以降、ビデオ録画した授業をいつでも好きなときに見られる「ビデオオンデマンド(VOD)」という手法を展開。教育・学習塾業界の中で数々のイノベーションを起こすことで事業を成長させてきた。
少子化の中、苦戦する教育・学習塾業界の中で、河合塾・駿台と並んでかつて「3大予備校」といわれた代々木ゼミナールは2014年に27校のうち20校を閉鎖。一方で、ナガセは16年3月期の売上高457億円、営業利益65億円と過去最高益をたたき出す。
【弘兼】東進ハイスクールの特徴は現役生の多さ。予備校は浪人生のものという印象を変えました。これは永瀬さんの戦略だったのでしょうか?
【永瀬】うちが予備校に本格参入した90年代初頭は、浪人生の人数が減少に転ずる時期でした。しかも、うちは河合塾、駿台、代ゼミに続く4番手。そこに人口減少というアゲインストの風が吹くと真っ先にやられてしまうので、現役生にシフトすることにした。そして浪人生部門で「日東駒専予備校」と呼ばれたポジションから、東大などの難関大の現役合格者を増やそうとしました。
【弘兼】とはいえ、いきなりの方針転換は難しかったのではないですか?
【永瀬】おっしゃる通り。社内では何をバカなことを言い出しているんだと言われました。でも、ほかにいろいろと道があるならばともかく、うちにはこれしか生きていく道はないと言って押し切りました。