民を愚かに保ち続け支配
裁判所や裁判官に対する人々の信頼は厚い。だが冤罪(えんざい)事件ひとつとってみても、警察・検察の不始末であるばかりでなく、間違った有罪判決を下した裁判所の責任も大きいはずだ。にもかかわらず裁判所という組織自体が厳しい批判に晒(さら)されることはない。それでいいのだろうか。はたして実態はどうなのだろうか。
著者は東京地裁、最高裁などに勤務し、現在は法科大学院教授を務める元エリート裁判官。『民事保全法』など多数の専門書も執筆している。そのような華麗な経歴の人物が赤裸々に描く裁判所の内幕は、十分に驚きであった。上層部の劣化、中間層の事なかれ主義、かつて裁判所の信頼性を支えた職人タイプや学者タイプの裁判官の払底。具体的エピソードとともに綴(つづ)られる。
特に目を引くのが裁判員制度導入の舞台裏だ。市民の司法参加実現のために進められたはずの司法改革の裏で、それをてこにした「刑事系裁判官」の基盤強化とそれに伴う大規模な情実人事があったという。そのため現在の裁判所は憲法に定められている「裁判官の独立」を有名無実化するほど中央統制型になってしまっており、権力や社会的強者へ秤(はかり)が傾きやすくなっている。裁判所が市民支配の道具・装置となり「民を愚かに保ち続け支配し続ける」よう作用しているというのだ。