染物屋の家系でテーラーの長男に生まれ、米ニューヨークでファッション界の最前線で起こる出来事を目の当たりにし、世界的な日本人デザイナーのブランドの社長を務めた。米国で学んだ哲学は、老舗百貨店の役員として遺憾なく発揮され、現在も同じ思いを貫いている。
「売り場に学ばなければなりません。昨日も今日も同じように見える売り場は、いつも何かが起こり、動いているのです。売り場は生き物です。売り場にはその場にふさわしい品ぞろえと商品の量があり、それを的確に見つけ出し、人の心を引きつけ、ワクワクさせなければなりません。今どこで何が起こっているのか広くアンテナを張り、時代を丹念に読み取らなければなりません。それは日本の優れたものを世界に発信していくためにも欠かすことのできないものです」
日本を代表するデザイナーに請われ、32歳の若さで東京ファッションデザイナー協議会を立ち上げ、早くから国際的なネットワークづくりにも力を注いだ。東日本大震災から1年の2012年3月には東京・銀座の中央通りで初の屋外ファッションショー「GINZA RUNWAY」を開催して、日本のデニムのすばらしさを世界へとアピールした。
「日本の優れた物づくりの伝統を絶やさず、さらに発展させなければなりません。銀座でのイベントは日本の職人の技を世界に知らしめ、今いちど目を向けさせる出発点ともなったようです。時代に合わせて変化が求められます。しかし本質をぶれることなく捉えることが必要です。本物を見極め、それを頑として守りつつ、時代が求める姿で提供するしなやかな心を皆さんと育み、日本人の誇りを新たにしていきたいと願っています」(谷口康雄)