当時、3人は30代。その後、富野さんはアニメ映画の監督や小説家として、安彦さんは漫画家として活躍。大河原さんはメカニカルデザイナーという職業を確立した。ガンダムで頭角を現した3人は、それぞれの才能を開花させた。
大河原さんは「ガンダムの制作は、当時のアニメ界への挑戦でした。その成功がアニメ制作の構造自体を変革する転機となったんです」と、その意義を語る。当時、アニメ番組のスポンサーの多くは玩具メーカーだった。メーカーはアニメに登場するメカを玩具にして販売し、番組は玩具をPRする役割を担っていた。「玩具の購入対象は子供なので、当然、アニメに登場するロボットなどのメカは子供向けにデザインするのが常識でした。富野さんはこの“常識”をガンダムで変えたかったんです」
変形して合体する荒唐無稽な子供向けのロボットの概念を覆すデザインを、大河原さんは富野さんから求められた。あくまでリアルに。それは、大河原さんが求める理想のデザインでもあった。